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2018年10月号特集

Vol.247 | 「スピーチチェーン」とは

英会話を成立させるための前提条件

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1810/
船津洋「「スピーチチェーン」とは」(株式会社 児童英語研究所、2018年)


| 意識せずにつかわれる言葉

特集イメージ1 私たちは日常的に日本語を使っています。ひとつには思考のために、またひとつにはコミュニケーションのために日本語を使います。思考においては、通常口には出さずに(もしくはたまに口にしながら)頭の中で日本語を通して様々な考えを巡らせています。例えば、「明日は10時から会議がある」→「準備に2時間かかる」→「余裕を持って6時半には家を出たい」→「5時には起きなくてはいけない」→「もう12時だからそろそろ寝なくちゃ」などなど、このように思考をする時には必ず言語、つまり日本語が使われます。もちろん、日本語を経ずに絵画やメロディーとして表現される形態もありますが、そんな芸術家たちでも、思考には日本語を使っています。
 思考は一人で行われますが、思考または知識によってもたらされた情報が2つ以上の脳を行き来すると、それはコミュニケーションになります。このコミュニケーションも、もちろん日本語で行われます。コミュニケーションの手段にはいろいろあります。ジェスチャーもあれば、メールなどテキストや、最近では顔文字やスタンプを媒介とするコミュニケーションもあります。しかし、最も基本的で、人類が数万年に渡り行ってきたのが、音声言語、つまり話したり聞いたりすることによるコミュニケーションです。
 さて、我々は思考やコミュニケーションに日本語を使うのですが、この「つかう」という語には、何らかの目的 “意識” を持っているニュアンスが含まれます。私たち日本語話者が「日本語をつかう」というとき、どのような「つかい方」をするのでしょうか。「はてさて、どんな方向で考え(表現し)ようか?」と、思案することはあります。つまり「何を(どのように)話すか」を考え、表現方法や語彙を選択することがあります。しかし、「よし、今から日本語を使うぞ!」と、日本語を「使うこと自体」を意識することはありません。日常的に「これから空気を吸い込むぞ」とか「左足から一歩踏み出して歩き始めるぞ」と考えながら呼吸はしないし、歩くこともありませんが、まったくそのレベル、つまり “無意識” のレベルで日本語を「遣って」いるのです。


| 会話=スピーチチェーンの成立

特集イメージ2 このように “無意識” に日本語を遣うこと、特に他者との音声を通したコミュニケーションに日本語(日本人の場合)が用いられている様態を「日本語のスピーチチェーン」と表することがあります。病気や事故で脳に何かの障害が起こると、このスピーチチェーンの一部が断ち切れてしまいます。重度の障害では、相手の言っていることが理解できなくなったり、心に語が浮かんでこなくなったりします。また呂律が回らないとか、吃音もその部類です。スピーチチェーンでは、話し手が頭に浮かんだイメージを日本語に置き換え、音声として発する。聞き手はその音声を正しく聞き取って日本語として理解し、さらにそれをイメージに変換するわけです。このスピーチチェーンは「チェーン」ですので1カ所でも切れてしまえばチェーンの役を果たしません。
 ということで、今回は「日本語のスピーチチェーン」、そこから「英語のスピーチチェーン」とは何かを考えてまいりたいと思います。


| 日本語を使いこなすとは?

特集イメージ3 言語、例えば「日本語を使いこなす」とはどのようなことなのでしょうか。日本語を使うにはいくつかのレベルが考えられます。外国人旅行者の身振り手振りの片言会話から、冗談を言い合えるようなレベルまで、さまざまな段階のコミュニケーションの様態があります。まずは、そのあたりを見てまいりましょう。
 先日のことです。私は一人で外食することは滅多にないのですが、行きつけの寿司屋で晩酌がてら大将を相手にカウンターで寿司をつついていると、一人の青年が店に入ってきました。彼は私からひとつ空けた右隣の席に案内されました。日本では、夕食時の寿司屋で30歳前後の青年が一人カウンターに座る姿には、あまりお目にかからないので、若干の違和感を感じたのと、彼の発する仄かなアクセントから「外国人だな」と思いました。(後で分かったことですが)ユダヤ系で目立たない雰囲気であったことに加えて、彼の店主とのなめらかなやりとりは日本人に紛うほどだったので、途中「いや日本人か」と感じたほどです。
 私は生来人懐こい性格ではありませんが、少しお酒が入っていることもあり「袖振り合うも」の勢いで、声を(日本語で)かけて、話進めるうちに、やはり微妙なアクセントと統語(接辞の使い方)などから「外国人だ」と分かりました。先方も、こちらが英語を話すことが分かると日本語から英語に切り替えてコミュニケートする場面もありましたが、基本的には「日本にいて日本語を話せる」彼に敬意を表して日本語で会話を楽しみました。つまり、私と彼の間では「日本語のスピーチチェーン」が成立していたわけです。


| 「日本語のスピーチチェーン」から「英語のスピーチチェーン」へ

特集イメージ4 奇しくも彼も教育者で、話は「日本の英語教育論」に至り、結局大いに盛り上がってしまうのですが、やはり専門的な用語となると彼の日本語辞書内には存在しないらしく、そんな時には彼が英語に切り替え、自然私も英語に切り替えて会話を楽しみました。今度は彼と私の間に「英語のスピーチチェーン」が成立していたことになります。要するに、スピーチチェーンが成立していることによって、日本語や英語を「使うこと自体」、語の選択や句の作り方、唇や歯や舌を使った発声の仕方という点に関心が向かうことはなく、日本語なり英語を使って「なにを(どのように)話すか」に意識が集中しています。スピーチチェーンが成立している結果として、満足なコミュニケートが図れ、会話を楽しむことができるのです。
 私も職業柄多くの外国人と接してきましたし、街中や観光地などでも私の使いこなせる唯一の外国語の英語を使うことは珍しくありません。しかし、彼のように「日本語のスピーチチェーン」を成立させ得る外国人は希でした。大抵のケースでは、日本語で挨拶や単純なやりとりをしているうちに、こちらが英語を使えることが分かると、「英語のスピーチチェーン」の中に身を置くようになります。また、日本語を習得中の外国人相手の場合には、積極的に日本語で会話をしますが、やはり片言に終始してしまい、「何を(どのように)話すか」よりも日本語を「使うこと自体」に関心が向かってしまうのです。このように日本語を「使うこと自体」を考えなければできないようでは、それはスピーチチェーンではなく、スピーチチェーンを構築するためのトレーニングのような状態です。


| “無意識” にはできるけど、 “意識” するとできない

特集イメージ5 ところで、私たち日本語の母語話者間でなら(内容さえあれば)成立するスピーチチェーンですが、それは具体的にどのようなものなのでしょうか。日本語の母語話者である私たちは日常、「今、日本語で思考している」とか「今、日本語で話している」とか、「今、日本語を聞き取っている」と自覚することはありません。試しに「日本語を聞き取れる」と自覚しようとしても、自覚はできないのです。このように、まったく “無意識” のうちに、我々は日本語で考え、日本語を聞き取り、日本語で話しているのです。「どのように」日本語を話すのか、あるいは聞き取るのかを考えることなく、それらはまったく “無意識” のうちに行われているのです。
 もう少し詳しく、スピーチチェーンをイメージに沿って見ていきましょう。
 スピーチチェーンには、いくつかの過程が存在します。まずは「心理的な過程」です。この過程では、頭に浮かぶイメージを日本語に変換します。図の例では、おそらく夕食に何を食べるのか相談しているのでしょう。選択肢として話し手のこころにお寿司とカレーのイメージが浮かびます。それを話し手は「お寿司」と「カレー」という語や「に」「する」「それとも」という形態素(「語」と考えて差し支えありません)を、レキシコン(「心的辞書」と呼ばれる個々の心の中にある語や形態素の在庫)から選択します。同時にそれらをシンタクス(「文法」のようなもの)に照らし合わせて、日本語のルールに則った「お寿司にする、カレーにする?」という句を作り出します。「イメージ」を「日本語」に変える、心理的な過程です。余談ですが、この部分が、今日の理論言語学の主な研究対象です。


| 心に描いたものを音声にする

特集イメージ6 次に、「運動系の過程」に移って音声にします。頭の中で句まで作り出すことができれば、それを音声にすることは完全に無意識のうちに行われます。難しいとか簡単とか感じたことすらないはずです。それでは、音声を発することは単純なことなのかと言えば、これが思いの外複雑なのです。
 日本語の音節の「ぱ」と「ば」を例に挙げてみましょう。どなたでも、これらを発することができるはずです。では「ぱ」と「ば」では何が違うのでしょうか。
 音素に分けて/pa/ と /ba/ にするともう少し違いがくっきりします。母音 /a/ は共通ですが、子音が無声音の /p/ なのか有声音の /b/ であるかの違いであることがわかります。それでは、無声音の /p/ と有声音の /b/ では何が違うのでしょうか。両方とも「両唇音」で、調音点(音を作り出す場所)は両唇です。つまり上唇と下唇を使って調音されます。また両方とも「破裂音(閉鎖音)」と呼ばれ完全な閉鎖を作ることで調音されます。
 一点異なるのが、VOT(Voice Onset Time) と呼ばれる声帯を振動させるタイミングです。破裂する前、もしくはほぼ同時に声帯を振動させるのが有声子音(この場合 /b/ )で、破裂させてから声帯の振動が起こると無声子音(同じく /p/ )に聞こえます。前者に対して後者は、破裂を跨いで声帯が震え始めるタイミングが1000分の10~20秒くらい遅れているのが唯一の違いです。(中国語の /pa/ は破裂と声帯の震えの間隔が極めて短いので /ba/ にも聞こえたりします。)
 だんだん音声学の授業のようになってきたので、この辺で止めておきますが、思いの外、繊細かつ複雑な調音を、私たちは無意識のうちに行っているのです。これ以外にも、「ば」と「ま」の違いも考えてみると面白いでしょう。両者とも調音点と有声性は同じですが、音声的にはずいぶん異なります。どこがどのように違うことで、両者の違いとなるのでしょう。
 これらの調音は、意識してできる芸当ではありません。考えながら調音しているようでは、スピーチチェーンは成立しないのです。(ちなみに、/ma/ は鼻音なので、声帯が震えてから空気が鼻から抜けるのが特徴です。)
 心理系で句を作り、運動系で音を作ります。作られた音は物理的な音波として放出されます。心理系を言語学的レベル、運動系を生理学的レベル、音波を音響学的レベルなどと言うこともあります。


| 心のイメージが日本語になり、空気の振動になり、電気の信号になり…

特集イメージ7 さて、話し手が様々な段階を経て作り出した音波は、空気振動として聞き手の耳に届きます。ヒトの外耳は、ごく微細な空気の振動でもキャッチするような、スピーカー形の集音器のような形をしています。外耳でキャッチされた音声は中耳で増幅されます。そして、内耳で電気信号に変換されます。内耳の蝸牛には、周波数毎のセンサー(ピアノの鍵盤を想像してください)があり、内耳で増幅された音は該当するセンサーに刺激を与えます。そしてそれらが電気信号に変換されて脳へと伝わります。(また余計なことですが、この部分を「感覚系」と呼んだりもします。)
 その後、脳ではその電気信号を「音声」として認識するのです。再び「心理系」に戻るわけです。空気振動は単なる振動ですので「音声」ではありませんが、それが電気信号に変換され、さらに脳内で「音声」として解釈されることになるのです。この過程のどれひとつを取ってみても、意識的に考えながらできることではありません。日々、日本語を使えるありがたさを、ヒトの進化に感謝すべきなのかもしれませんね。(逆に進化したから、言語が生まれてしまって、それによって人類は大いに悩まされることになるのですが…。)
 話し手の心に浮かんだイメージが日本語に変換されて、空気振動になり、聞き手の耳に届き、そこで電気信号に変換され、さらに脳内では「音声」として知覚されるところまで来ました。この中で、例えば、話し手に言語障害があれば、正しく「音声」化されませんし、騒音が大きければ正しく聞き手の耳に届きません。また、もし聞き手に聴覚障害があれば、外耳まで届いた空気振動も「音声」に変換されて聞き手の脳には届けられません。スピーチチェーンのひとつひとつが正常に働いて、ようやく「音声」は脳で「ヒトの言語だ」と知覚されるのです。しかし、実はここからが大問題です。


| 耳に届いた「音声」が、心で「日本語」に生まれ変わる

特集イメージ8 専門用語が出てきてうんざりされているかも知れませんが、ご安心ください。まだ「日本語のスピーチチェーン」の話です。面倒な話はそろそろ終わりですので、今しばらくお付き合いください。
 さて、紆余曲折を経て、話し手の心の中のイメージは聞き手の心に「音声」として無事届けられました。ただし、まだこの段階では「音声」です。聞き手が日本語話者であればその「音声」は「日本語」として知覚されます。つまりスピーチチェーンの成立です。しかし、聞き手が日本語話者でなければ、その「音声」はヒト言語 “らしき”「音声」であって、「日本語」として知覚されることはありません。つまり、スピーチチェーンの不成立です。多くの場合、母語の異なる話者間、言ってしまえば日本人が英語でコミュニケーションがとれない理由はここ、つまり「音声」を「日本語」や「英語」などの言語として知覚する段階がうまくいかないことにあるのです。
 「音声」を「日本語」として知覚できることを「日本語を聞き取れる」と言ったりします。では、日本語を聞き取れるとは、どのようなことなのでしょうか。私たちは日常、無意識に日本語を聞き取っています。「日本語を聞き取れる」という、日本好きの外国人からすれば “垂涎もの” の能力を何の感謝もすることなく、自然に使っているのです。しかし、感謝しろと言われても、「日本語を聞き取れる」こと自体が自覚できませんので、自覚できないものに感謝できるわけがありません。それでは「聞き取れる」ということが、客観的にどのようなことであるのかを見ていくことにしましょう。
 「音声」の聞き取りのキーワードは「範疇(カテゴリー)化」という概念です。音声の範疇化とは読んで字の如く(この場合、耳に入った「音声」を)カテゴリーに分類していくことです。
 例えば、日本語の「あ」を考えてみましょう。普段何気なく「あ」とカテゴリー化している「音声」がありますが、どこからどこまでが「あ」と分類されるべきなのかは、かなり微妙な問題です。成人男性の野太い「あ」と、女性や赤ん坊の発する「あ」では、音質も周波数も異なります。また、同じ人が発する「あ」でも、低く発したり高く発することができます。それらをすべてひっくるめて、私たちは「あ」と範疇化(カテゴリー化)しているのです。


| [æ, ə, ʌ, ά]を区別する英語、全部「あ」と分類する日本語

特集イメージ9 からくりはシンプルです。母音は舌の位置(高低と前後)でどのように聞こえるのかが決まります。下の図のように(歯の方に向かって)前方上の方に舌があると「い」に聞こえ、そのまま舌が後ろに下がると「う」に聞こえます。そして、口が広く開けば「あ」に聞こえます。
 しかし、どこまでが「い」であり、「う」であり、「あ」なのかは、話し手の発音の仕方や、聞き手のカテゴリ化に依存しています。日本語の場合には、少々変な発音をしてもー皆さん優しいのでー問題なく母音を聞き取ってくれるのですが、同じ優しい人でも英語を聞くと途端にうまくカテゴリ化できなくなってしまいます。特に日本語は「あ」に該当するエリアが広いので、何でもかんでも日本語の「あ」とカテゴリー化してしまうのです。以下に、英語の母音の分布と日本語の母音の分布を記します。
 日本語より英語の方が母音の数が多いことは良く知られていますが、その分布を改めて眺めると、英語は広母音(口を大きく開ける)と、中広母音(中母音との中間)にカテゴリーが4つ(厳密には5つとかそれ以上と数えることも出来ます)あるのに対して、日本語では、その4つすべてが「あ」に分類されてしまいます。英語では語の意味を変えてしまう母音が、日本語の分類では一緒くたにされてしまうのです。
 これに関して、ほんの少し注釈を加えると、人はその人の母語の音韻カテゴリー知識(つまり日本語の母音なら「あ・い・う・え・お」の5つの音)で外国語を分類する傾向があります。そのカテゴリーの域内にある音は異音(実際には異なる音だけれども同じ音)と認識され、近所にある音は近似値でカテゴリー化されてしまうのです。
 幼児期であれば、母語のカテゴリー以外にも外国語のカテゴリーを頭の中に作り出すこともできます。しかし一度母語が確定すると、特殊な学習(フォニックスや音声学の学習)をしなければ、外国語のカテゴリーは分からないまま、つまり日本語のカテゴリーで外国語を分類する以外の方略がないわけです。
 スピーチチェーンを成立させるためには、話し手も聞き手もその言語の音声のカテゴリー化が共有できていることが必要です。話し手が /hut(小屋)/ や /hot(暑い)/ のつもりで音声化しても、聞き手がその「音声」を「ハット= /hæt/(帽子)」だと知覚すれば、スピーチチェーンどころではありません。
 もちろん、正しく聞き取れないということは、「音声」を語の連続に切り分けることができないことも意味します。(これに関しては日本語と英語の違いについて『パルキッズ通信2018年5月号』参照)音声を語の連続として知覚できなければ、言葉の理解の糸口が掴めません。結果として、日本語なり英語の音声が理解できない=スピーチチェーンが成立しないことになるのです。


| 聞き取れないこと、作文できないこと…

特集イメージ10 スピーチチェーンを整理すると以下のようになります。

→[心理系 : [お腹が空く]→[寿司とカレーが浮かぶ]→[作文「お寿司にする、カレーにする?」]]
→[運動系 : [音声にする]]
→[物理系 : [空気振動になる]]
→[神経系 : [耳に入る]→[電気信号になる]]
→[心理系 : [音声知覚]→[「お寿司にする、カレーにする?」日本語変換]→[イメージが浮かぶ]]
→最初の[心理系]に戻る・・・

 話し手の心にイメージが浮かんでから様々な段階を経て、聞き手はそのメッセージを受けとります。このスピーチチェーンの中で1カ所でも断ち切れれば、それはスピーチチェーンではありません。しかし、日本語として作文された句を音声として口にする「運動系」から、その音声が聞き手の脳に届く「神経系」までは、特に障害がない場合には日常的に問題なく完全に “無意識” に行われます。
 同じように聞き手が音声として耳に入った言葉を理解する「心理系」や、逆に話し手が心に浮かんだイメージを作文する部分、同じく「心理系」も、母語であれば “無意識” のうちに処理されますが、英語などの外国語となると途端に “無意識” では処理できなくなります。つまり「何を(どのように)話すか」ではなく、作文や聞き取り、さらには理解(イメージ化)という「言語それ自体」の処理に注意が向かってしまうのです。言語障害があるわけではないのですが、この「心理系」でスピーチチェーンが断ち切れてしまうわけです。
 聞き手の心理的な作業である「音声」を理解する難しさに関しては、すでに簡単に触れたので、最後に話し手の心理的な作業である作文に関して触れておくことにします。


| 単純な日本語つぶやきは高度な作文能力から生み出される

特集イメージ11 私たちは、常に日本語で作文をしています。作文というと大げさですが、起きている間はそれこそひっきりなしに “無意識” のうちに句を作っています。頭に浮かぶイメージは、単語に置き換えられます。そして、それらの語は文法に照らし合わせて、適宜形態素(接辞や助詞)で繋げられたり文法的整合性を整えたりしながら句として作文されます。
 例えば、話し手が「昨日、行った?」と聞き手に尋ねます。聞き手はその問いに対して、行かなかったという事実を心に浮かべます。そして「行きませんでした」と作文するわけです。この短い句は、一見簡単な「ひと言」に見えますが、果たして本当に簡単で単純な句なのでしょうか?「行きませんでした」は日本語のまま、つまり「かな」という音節の単位で語や形態素に切り分けると幾つに切り出すことができるでしょうか。
 「行(・)き・ません・でした」と3つか4つに切り出せると思います。しかし、これをローマ字で音素にまで分解すると以下のようになります。


| 「ik(語幹)・i(用言接辞)・mas(丁寧語)・en(否定)・des(繋辞)・ita(過去)」

特集イメージ12 ご覧いただいて分かるように、それぞれの形態素は句の中で意味的な役割や文法的な役割を果たしています。極めて単純と思われる「行きませんでした」という句は、かなり複雑な文法に則って作文されているのです。語幹の次の {i} を {e} に変えるだけで意味が変わってしまうほど、繊細です。
 もう少し注意深く観察すると、それぞれの形態素の後に様々な選択肢があることが分かります。例えば「行く」は五段活用動詞なので、語幹の「ik」後には {anai, itai, utoki, eba, ou} などが、丁寧語の「mas」の後には {ita, syou, u} など、様々な選択肢があり、また、句自体も「行かなかったです」「行かなかった」「行かなかったよ」「行かないよ」「行けないよ」など、微妙なニュアンスの差を表すために、細かいところまで注意深く作文されます。文法的に説明するとなると、極めて複雑で、おそらく外国人にこれを教えるとなると大変な作業なのではないでしょうか。その意味では、日本語を使いこなせる彼らを尊敬してやむことはありません。
 同時に、私たち日本語の母語話者も、このように文法的には説明できないような、また理解するのも大変なこの日本語の文法をまったく “無意識” のうちに使いこなしていることに気づかなければいけません。文法を理解できることと「スピーチチェーン」を成立させることはまったく別の次元の話なのです。それが証拠に、この複雑な日本語の文法を理解できない私たちも「日本語のスピーチチェーン」を成立させているわけですし、さらに言えば、文法という概念すら理解できない3歳児でも「日本語のスピーチチェーン」を成立させることができるのです。
  “母語習得に文法知識は必要ない” ことを、真摯かつ冷静に受け止めれば、外国語習得には「文法学習が必要」「英語を習得するにはまず文法」という “常識” をそろそろ捨て去り、新しい学習法へ一歩を踏み出すべき時に来ているのではないでしょうか。
 こんなことを書くと英語の先生は怒られそうですが、現実的に文法と使える英語は別の次元であることは否めないはずです。問題を「どれほど立派な文法知識を身につけさせるか」ではなく、いかにして「使える英語を身につけるか」、つまり「英語のスピーチチェーン」を成立させるかということに限定するのであれば、 “回り道” を避けて、スピーチチェーン確立に向けた学習法を選択するのが賢明でしょう。
 それでは、どのようにすれば「日本語のスピーチチェーン」を身につけたようにして「英語のスピーチチェーン」を身につけられるのか。キーワードは「入力」なのですが、これに関しては、今さら書かないまでも賢明な読者のみなさまはすでにご存じでしょうし、紙数も尽きてきたので、今回はこの辺にしておきます。

※形態素 : 形態素とは単語と考えて差し支えありません。ただ、単語というのは「独立で表れることができる」という解釈があるので、日本語の助詞や英語の機能語(a, theなど)や屈折接辞(三単現や複数のsなど)は語とは呼べないことがあり「形態素」という便利な用語を使っています。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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