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2015年06月号特集

Vol.207 | 書く学習 ただ書いても身につかない!

「書く学習」の落とし穴

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1506/
船津洋『書く学習 ただ書いても身につかない!』(株式会社 児童英語研究所、2015年)


 いきなり私事で恐縮ですが、現在、大学に戻って勉学に勤しんでいます。
 「人よりは英語ができる」という、ただそれだけの理由でこの業界に足を踏み入れてから、そろそろ30年になります。どのような凡人でも、同じ作業を繰り返し、ひとつのテーマに関する考察を深めていけば何らかの境地には達するもののようで、気付いてみれば幼児の英語習得における諸現象はだいたい分かるようになりました。掲示板の文章や講演会後の雑談などの、親御さんからの限られた情報からでも、お子様の様子は鮮やかにイメージ化されます。
 そんな「市井の学者」を続けてきたわけですが、やはりどこか頼りなさを感じる…。そこで一念発起。スタッフや家族の協力を得ながら、言語学を改めて学び直すこととなりました。言語学とはまだまだ「若い」学問で、分かっていないことばかりです。人がどのように言語を身につけ、どのように言語と関わっているのか、そもそも言語とはどのような構造を持っているのか…。掘り下げれば掘り下げるほど「底」が見えなくなってくるテーマばかり。僕のような変わり者にとっては、興味津々の学問です。
 「その道の人たち」というのはどこにでもいるもので、言語の元となる音を学問する「音声学」、「音韻論」、単語について考える「形態論」、個別言語特有の文法を解明する「統語論」、文章の意味を考える「意味論」、会話における文章の意味の変化を掘り下げる「語用論」などにはじまり、それらがいろいろな他領域と関連して「心理言語学、神経言語学、応用言語学、社会言語学、計算言語学、歴史言語学」…と気が遠くなるような幅広い学問となっています。
 言語とは、人間にだけ許された不思議な能力です。コミュニケーションを取り合う生き物はほかにもありますが、言語を使うのはヒトだけです。しかも、幼児たちは複雑きわまりない言語をわずか3年で身につけてしまうのですから、何とも不思議なことだらけ。そして、その解明はまだまだ緒に就いたばかりです。こんな楽しいことをこの年になって勉強できるとは、幸せ者です。
 もっとも、30年近く子どもたちの英語獲得のお手伝いをしつつ経験的に学んできたことは、アカデミックと無縁ではありません。どんな子でも言語環境が与えられれば ―たとえその言語環境が質・量ともに乏しいものであっても― 3年足らずのうちに言語をマスターしてしまう。この点に関しての認識は、学術研究の世界にも現実の世界にも相通じます。もっとも、なぜそうなるのかは未解明ですが…。
 また、技能習得などの「学習」は、直線的に、つまり同じ速度で歩き続ければ時間とともに距離も延びていくような具合には進みません。また、子どもが成長の前半に急激に身長を伸ばし、その後成長が緩やかになっていくようにも進みません。言語の習得も含め「学習」は、「グッと成長するステージ」と「安定的に変化の見られないステージ」の繰り返しで成立します。階段に例えるなら、一歩で一段ずつ上がって行くのではなく、しばらく平らな面を進んでから大きく一段登るような進み方です。言い換えれば、一見まるで成長していないように見える段階でも、学習は着実に進んでいて、その学習の蓄積の上に次の大きな成長の段階があるということです。この点でも、学術研究の世界と現実の世界での見解の一致が見られます。
 と、まぁ、このような学修の成果も織り込みつつ、今後も本誌をはじめとする執筆や講演活動を通して、幼児と英語の関わり方をお伝えして参りたいと思います。


| 「書く」ことについて

 さて、少々前置きが長くなりましたが、進めて参りましょう。今回はリクエストがありましたので、「書く」ことに関して掘り下げて参ります。
 「英文を書けるようにさせたいのですが」「書く練習をしなくてよいのですか?」などなど、「書く」ことに関してたまにご質問を受けます。“たまに” と書きましたが、やはり圧倒的に多いのは「話す」練習に関してのことで、「書く」ことに関して尋ねてこられる方はマイノリティーです。ここで、驚かされるのはその意識の高さです。幼児期の言語習得、しかも外国語の習得において「書く」という四技能の中で最後に来るものに関心を持たれるというのは、語学学習の到達点として、かなり高い目標を掲げていらっしゃるということの表れでしょう。
 ところで先月号でも触れましたが、お子さんに英語教育を実践するにあたっては「子どもにどのような英語力を求めるのか」という点に関して、ある程度クリアな目標をイメージしておいた方が良いでしょう。
 ゴールとしては、日常的な雑談ができる程度の汎用性の高い言語力を求めるのが理想でしょうし、同時に論文などを読めるくらいの高い読解力を身につけさせたいと思うのも意識の高さを感じます(もちろん、そこに到達するには不断の努力が必要であることはいうまでもありません)。そして、最終的には英語で論文を書けるほどの高い文章力を身につけさせたいと考えるのは、英語教育並びに英語学習における究極の目標ともいえるでしょう。


| 何を書く?

 さて、書くこと、これは言語の使用においては最も高次元の作業です。考えてみれば、いったいどれほどの人たちが「書く」ことを日々実践しているでしょう。言語使用で最も頻度が高いのが、おそらく「聞く」ことでしょう。また職業や生き方にもよりますが、続いて「読む」ことや「話す」ことが一般的に頻度が高くなると想像できます。そして、一般的な言語活動の中で、最も頻度が低い作業が「書く」ことでしょう。それはそうです。言語は思考のために使われ、続いてコミュニケーションのために使用され、最終的に何事かを残したいという気持ちの先に「書く」ことが行われるのです。
 では、人は何を書くのでしょう。何を残したいという衝動に駆られて、何を書くのでしょうか。
 ひとつには、「自分のための記録としての筆記活動」があるでしょう。これは思考とも結びついていて、頭の中に浮かんだアイデアや、日々の生活の中で抱いた様々な印象を書き留めたり、学生が授業中にとるノートや書記、または単なる備忘録として記したりすることも日常的に行われます。日記や日誌も自分のために書いている分には、この部類でしょう。この場合には「書く」作業は、専ら自分のための記録(他人に読まれることを想定するものもある)との位置づけになるので、文章としてきれいに整っていないものが多くなるでしょう。
 ふたつ目には、「人に読まれることを想定した筆記活動」があります。子どもの頃であれば、読書感想文などの様々な課題が与られ、誰でも一度は経験したことのある作文、また、高等教育になるとレポートやエッセイの提出は不可避なので、かなりの文章を書いてきたはずです。
 最近では、日常的にブログを書くことやSNS(Facebook, Twitterなど)で何らかの発信をすることが、当たり前のようになってきています。数年前の「情報通信白書」によると、「日本人の8割がインターネットを利用し、その半数がSNSを利用している。その人口は5000万人に上る」とのこと。生産年齢(15~64歳)の人口が7900万人ですので、ざっと見積もれば、20代から50代はほぼ全員がSNSを利用していることになります。
 もっとも、すべての人が発信しているわけではなく、たいていの人たちは受信しているだけなので、文章を書いている人はそのうちの一部です。これに、Eメールの使用も考え合わせれば、「人に読まれることを前提とした筆記活動」は現代人の生活には不可欠です。
 ただし、これらの筆記活動は口頭でのコミュニケーションに取って代わったものなので、質や量としては文章というよりも会話の “一変態” と考えれば、「文章を書く」という定義からは少し外れます。
 そのほかにも、文章として書かれているものは無数にありますが、一般的には「文章を書く」というとエッセイを書いたり、論文を書いたり、物語を書いたりといった文筆活動が思い浮かべられるでしょう。
 同様にここでは「書く」ということに関して、単なる日記やSNSによる交流のようなものではなく、文筆家による文筆活動のようなものを前提に考えていくことにしましょう。


| 「英文(文章)を書く」とは

 さて、「書く練習はしなくて良いのでしょうか?」というご質問に戻ります。ここで、ふたつのクリアすべき課題を想定することができます。
ひとつ目は、「何を書くのか」という点です。そして、もうひとつが「何語で書くのか」という問題です。もちろんこのご質問には、いかに英語で書けるように育てるのか、という意味が含まれていることは分かりますが、あえてここで「何語で?」という問題を提起します。
 それでは1番目の問題から見ていきましょう。
書く練習といってもいったい何を書かせるのか、これは大問題です。そもそも「書く練習」をすれば「書ける」ようになるのか、ここから考え始めなくてはいけません。たとえば、身近な事を書かせる練習の代表として「日記」が挙げられます。もちろん、日記を書く作業は有効な筆記の練習にはなりますが、それでは、日記を書き続けていれば、最終目的であるところの学術論文やエッセイや小説を書けるようになるのでしょうか?
 できるようにならない、とは言いませんが、日記をつけることが必ずしも文章力の向上に直接繋がるわけではないことは、経験的に多くの人が感じているはずです。極論すれば、どれだけ几帳面に日記をつけても、文筆家になれる保証などありません。逆に、日記などつけたことのない人が、小説やエッセイや学術論文を書くことは(あくまでも自らの体験も踏まえた推論ではありますが)珍しくないでしょう。
 では、どんな練習や工夫をすれば、より良い文章を書けるようになるのでしょうか。


| 「書く練習・話す練習」の落とし穴

 これはとても重要なポイントですが、我々日本人は単純化された考え方を好みます。否、日本人に限らず、たいていの人間は単純化された考え方に吸い寄せられます。たとえば次のような考え方です。「英会話ができるようになりたければ、英会話の練習をすれば良い」。この考え方を持っている人が多いことは、英会話スクールやオンライン英会話レッスンの人気が高いことからも明らかです。
 もちろん、英会話レッスンを否定するのではありません。このような機会を持つことは大変結構なことです。英語を耳にして緊張することはなくなるでしょうし、英語を口にすることにためらいもなくなるでしょう。つまり英語で会話することに “慣れる” という意味においては、とても意義深い学習法です。
 では、英会話の練習を繰り返すうちに、自分の望む英会話ができるようになるのでしょうか。日本人として日本語で周囲の人たちと様々なことを日常的に会話するのと同じように、英語圏の人たちと他愛もない会話を英語で交わせるようになるのでしょうか。「かくあれかし」ですが、現実には、なかなかそうは問屋が卸してくれません。
 「他愛もない会話」とは言いますが、これがよく考えてみると複雑な様相を呈してきます。
 まず、相手の言っていることを瞬時に理解するところ(英語の聞き取り・イメージ化)から始まります。そしてそれに対して興味を抱き(自分の知識との照合)、すると様々な疑問や反応が湧いてきて(疑問点や共感点の創出)、それらを相手に投げかけ(的確な英語表現への置き換え)ます。それに対して相手は、さらに深い情報をもって返答するでしょうから、(相手の返答のパターンをあらかじめいくつか想定しておいた上で)相手の返答を即座に理解し、気の利いたリアクションをする…。これらを繰り返すうちに内容をどんどん深めたり、別のトピックへ自然に移っていくのが、いわゆる「他愛もない会話」で行われていることです。
 この実に多くの作業が、日本語であれば無意識のうちに行われますが、いざ英語となると解決しなくてはいけない課題がいくつもありそうですね。
 言ってしまえば、スムーズな英会話力に必要なのは、会話のやりとりの練習より、「リスニング力とイメージ化能力の向上」と、英語の「知識と返答パターンの蓄積」です。
 そして、英語のリスニング能力の向上には「英語の発音練習」(拙著『英語の絶対音感トレーニング』参照)が、またパターンと知識の蓄積であれば「英語の多読」(同『ローマ字で読むな!』参照)の方が、英会話の練習よりも、よほど効率良く学習が進められるのです。
 このように、「英会話を身につけたいから英会話を練習すれば良い」というような直線的な思考は、必ずしも正しいわけではありません。英語で文章を書くことに関しても、同じことが言えるでしょう。
 「英文を書けるようになりたければ、英文を書く練習をすれば良い」というような直線的な思考ではなく、そもそも英文を書くとはどんなことなのかを考えなくてはいけないのです。


| 内容の吟味と整理整頓

 文章を書くには、まず「発信すべき内容」がなくてはいけません。こう言うと、「自分には発信すべき内容がない」などと悲観的に感じてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。
 すべての人間には発信すべき、興味深い内容があります。3歳の子にも発信すべき内容はあります。小学生になれば、もっと興味深い内容が飛び出すでしょうし、高校生や大学生、成人になれば、思いもかけないような人生や思考の深みがあるものです。問題は、それらをどのように整理整頓するか、いかにして文章へと落とし込んでいくのか、その能力を有するのか否か、という点です。
 たとえば、「食べ物」について何かを書くと想定してみましょう。これでは範囲が広すぎるのであれば、「私の好きな食べ物」でも良いでしょう。これでも範囲が広いかもしれませんが、とりあえずここからスタートして、どんどん掘り下げていきます。
 「好きな食べ物は?」と聞かれると、「イチゴ、唐揚げ、お寿司、おでん、サラダ…」など食べ物の列挙に陥るかもしれません。まずはそれでも結構ですが、ここで一段階思考を深めます。もしイチゴが好きなのであれば、「なぜイチゴが好きなのか」を考えてみます。なぜスイカやサクランボ、メロンやリンゴではなく、イチゴが頭に浮かんできたのでしょうか?
 仮に答えが「おいしいから」であれば、「なぜイチゴをほかの果物よりおいしいと感じるのか」を考えます。「甘いから」という答えが浮かんだとしましょう。では、「数ある甘い果物を押しのけて、なぜイチゴが好きなのか」を考えてみます。
 イチゴが一番甘いからなのか、それとも、甘みと酸味のバランスや食感が好きなのか。それとも、色や見た目がかわいいから、はたまた、ショートケーキの上に乗っているイメージから好きになったのか、たまたま昨日食べたからイチゴが浮かんできたのか、毎年田舎の叔母から送られてくるイチゴを想像したのか。…などなど、たかだか「イチゴ」ひとつから、いくらでも情報を引き出すことができます。
 このように、単なる「好き」の背景にも、様々な心理状態があります。それを掘り下げていくことで、様々なメッセージが自分の中に詰まっていることを知るのです。
 もう、おわかりですね。お子さんとの日々の生活の中で、このような内面へとぐんぐん掘り下げていくような会話を心がけてみましょう。これを繰り返すことで、どんな「コンテンツ」がお子さんの内面に鎮座しているのか、それを発見することができます。
 「好きな食べ物」の中の「イチゴ」だけでも、多量の情報が詰まっていることが分かりました。もちろん、イチゴ以外の好きな食べ物にも、同様に大量の情報が詰まっていることでしょう。すると、「好きな食べ物」では範囲が広すぎることに気づきます。そこで、範囲を狭くします。
 たとえば、「好きな果物」でも良いでしょうし、「自分の好きな食べ物3つ」でも良いでしょう。もっと狭くすれば、「好きな寿司ネタ」とか「中華料理ならこの3皿」でも良いですし、さらにひねれば「嫌いだったけれど好きになった食べ物」など、整理整頓の方法はいくらでもあります。そして、整理した上で、それらをまたさらに深く掘り下げていくのです。
 このように、掘り下げ・整理整頓する作業を繰り返すと、伝えるべきメッセージ=「何を書くのか」がくっきりと姿を現してきます。


| 日本語?英語?

 さて、そろそろ紙数も尽きてきたのでふたつ目の疑問「何語で書くのか」に関して考えて、締めくくることにしましょう。
 まず、文章を書くにあたっては「何を書くのか」という内容の準備が必要でした。これは内容の準備を行える「論理的思考力」と言い換えることもできます。それはつまり、前述したような内容の掘り下げや整理整頓を繰り返すうちに、脳内に「自分の思考パターンを作り上げていくこと」に他なりません。そしてこの論理的思考力の育成は、何語で行うのが自然でしょうか?日本語で行いますか?それとも英語で行いますか?
 言うまでもありませんね。日本人であれば母語である日本語でしょう。
 「英語で書く練習を」という前に、英語より優位である母語、日本語のレベルに思いを馳せることが必要です。まずは、果たして優位言語である日本語(母語)で十分に「書く」ことができるのか、自分の内面を掘り下げて、情報を整理整頓する論理的思考ができるのか、ここがポイントなのです。
 「分けて考える」習慣づけということを、本誌先々月(2015年4月)号でも書いていますが、今回も分けて考えてみましょう。すると、書く練習とは、ひとつ目に「論理的思考力の育成」、ふたつ目に考えたことを「的確に表現する言語能力の育成」に分けることができます。
 まず、ひとつ目の論理的な思考の練習は、運用の点で有利な日本語で行えば良いでしょう。日常の子どもとの会話の中で、母親が子どもたちに掘り下げ・整理整頓を促す語りかけや、質問の仕方をしていれば、子どもたちの中には論理的な思考のパターンが育まれていきます。どうやら、第一の課題「論理的思考力の育成」に関しては、子どもではなく親の側が練習しなくてはいけないようです。
 そして、その上で、英語で的確に表現するためには、英語での表現パターン在庫を大量に持つことが必要になります。頭の中で整理整頓したイメージを、英語に置き換えていく能力です。この能力に関しては、「英会話」の例の部分でも触れたように、話す・書く練習ではなく大量の英語表現の在庫が必須です。頭の中に大量の英語表現のストックがあれば、発信すべき内容をそれらの英語表現に置き換えることができます。つまり、英作文上達に必要となるのは、書く練習の前に、まずは大量に英語を読んで「自分の文章表現集」を頭の中に作り上げることです。
 まとめれば、子どもに英語で「書く」力を身につけさせるためには、まず日本語(母語)で考えを掘り下げ・整理整頓を促すような語りかけをすることにより「論理的思考力」を育成すること、そして大量の英語表現のストックを持てるように、大量の良質な英文を読ませ「的確に表現する言語能力」を育成することが必要なのです。
 英会話が上達したければ、英会話の練習をすれば良いのではない。英文を書けるようになりたければ、ただ英文を書く練習をすれば良いわけではない…。何とも不思議なものです。

 最後に、再び私事で恐縮です。私は日本語で文章を書くとき、限りなくゴールに近い場所に身を置いています。とあるトピックに関して原稿用紙20枚分書くのであれば、まずそのトピックについて掘り下げ・整理整頓します。言ってみれば、ざっくりとしたブレーンストーミングです。あとは、キーボードの前に座れば、頭の中のイメージが指先を通して次々と画面に文字となって現れていく、そんな「限りなく近いところ」にいます。
 ただし、これは日本語だからできること。英語となると話は別です。日本語と同様の文章を英語で書こうと思ったら、うんうんと唸ってばかりでしょう。それは偏に、自分の中の英語がまだ日本語ほどには成熟していないからです。それは当然で、普段使っていない言語で、スラスラとイメージを文章化することなどできるはずがありません。
 ただ最近は、環境が変化し、英語で読んだり話したり文章を書いたりする機会が以前とは比べものにならないほど増しています。近いうちに日本語だけでなく、英語でも文章を書いたり、講演できるようになるかもしれません。それはそれで、自らの体験としてまたどこかでお知らせできる日がやってくるかもしれませんので、気長にお待ちくださいませ。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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