パルキッズ通信 特集 | バイリンガル教育, 学校英語教育, 帰国子女, 言語学, 言語獲得
2019年1月号特集
Vol.250 | パルキッズで育つ子の英語力の本当のところ
帰国子女どころかネイティブより高い日英両方の知覚力
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1901/
船津洋「パルキッズで育つ子の英語力の本当のところ」(株式会社 児童英語研究所、2019年)
もう今では大学を卒業している年齢ですが、パルキッズで育ったとある女の子のお母様からこんな話を聞きました。その子は小学2年生で英検2級に合格しているほどの英語力の持ち主でしたが、その子が幼稚園に入園した時のこと、家に帰ると様子がおかしいので話を聞いてみると、その子曰く「みんなママのことばしかしゃべらない」そうなのです。さらに聞いてみると、どうやら幼稚園で英語を口にしてしまい、その時に相手がその子の言っている事を理解できなかったそうなのです。そのことに、ショックを受けたようなのです。
彼女にすれば、「ママの話すことば」つまり日本語と、「としお君のことば」つまり英語という二系統のことばがあって、みんな両方を使うものだと漠然と思っていたようです。しかし、現実はどの子も「ママのことば」しか話せず、「としお君のことば」の方に理解を示す子はいなかった。当たり前と言えば当たり前のことですが、印象深い話でした。
そして、その結果として、彼女は英語を封印したのでしょう。しばらくは英語を口にしなかったそうです。これも、当然と言えば当然、また珍しくもないことで、パルキッズで学習中の他の子たちにも、幼稚園や保育園に入った途端に英語が口から出てこなくなることがままあります。この子のご家庭のように、原因が分かっていれば心配せずに英語育児を続けられるのでしょうけれども、突然暗唱をしなくなったりすれば、母親としては気を揉む瞬間でしょう。
子どもたちは「同化」を好みます。アメリカなど多様性の国では「人と違うこと」が正常であることは、様々なシーンで強調されますが、一部の地域を除き多様性とはほど遠い日本の一般的な社会では、「同化」の傾向は子どもだけではなく大人にも見られるほどです。しかし社会や文化に関わらず、子ども同士では「同じ」であることが、まるでそれが本能であるかのように振る舞われます。とある言語学者によれば、ことばの習得においてもそれは顕著に表れるそうで、家庭内で使用される語彙やアクセントよりも、子ども同士、友だち同士で使用される語彙やアクセントの方が、放っておくと優位になるようです。
そのようなことがありますので、お子様が英語を口にしなくなったり、また発音が日本語っぽくなってきたりしても、それは周囲に「同化」するという、極めて人間の本性に近い心理がその根底に働いているからだと理解すると良いでしょう。心配には及ばないことです。
| なぜそのような英語力が身に付くのか不思議
また、こんな話もあります。そのご家庭では毎年休みを利用して英語圏の海外の小学校でのアクティビティーに参加させてもらっていたことがありました。それは留学のプログラムではなく、現地の子たちと同列に参加していたようです。おそらく、児童英語研究所でもかつて何度か紹介したことがある、ハワイのサマースクールのようなものでしょう。あくまでも現地の子が対象の学習プログラムで、他に日本人はいなかったようです。
ご兄弟で参加されていましたが、二人とも積極的に参加して、毎回いつの間にかリーダーのような存在になっていたようです。英語だけではなく日本語もできるということは、英語モノリンガルに比べて言語知識も豊富にあるということです。モノリンガルよりバイリンガルの方がことばに敏感であり、その能力が高いことはいくつかの心理実験で観察されています。また、当然のことながらバイカルチャーであることで、言語ばかりでなくその他の知識もモノカルチャーの子に比べれば豊富であることは容易に想像できます。そのため、自然と友だちの輪の中心にいるようになっていたのでしょう。
この子たちを見て、現地の責任者の方はいつも舌を巻いていたようで、「なぜこの子たちはこれほど英語に堪能なのか」「どのような学習法で英語を身につけたのか」とお母様に尋ねていたと伺っています。答えは「パルキッズ」ですが、それが先方に伝わったかどうかは定かではありません。
これらのことから、パルキッズで育つ子どもたちは、日本人の子どもたちが自分たちが日本語を使っていることを意識せずに、まるで息をするかのように日本語を操るように、極めて自然に英語も使いこなせるように育っていることが分かります。彼らの中では英語は外国語ではなく、自然に身につけてしまった日本語と何ら変わらない心の作用なのです。国際結婚の家庭内に育つ子どものように日本語と英語の両方を自然と身につけてしまう彼らですが、そのようなバイリンガルの環境で育つ子たちも、家庭の外が日本語環境であれば、周囲に「同化」して日本語が優位になります。しかし一度英語の環境におかれれば、見事に日本語から英語へと切り替えができることは、念のため付け加えておきます。
| パルキッズと一般的な英語教育の違い
パルキッズはバイリンガルを育てるためのプログラムです。学校や一般的な英語塾や教室で行われている英語教育は、英語を「外のもの」と捉えその体系を文法や語彙の習得を教えることにより、日本語に置き換えて理解することを中心に進行します。これは極めて自然なことで、一定の学齢期を過ぎた子どもたち、あるいは学生が未知の言語を学ぶにおいては、それを日本語に訳すことから始めなければ理解の糸口が掴めない、と指導する側が考えるのは常識の範囲でしょう。このような考え方のもと、和文英訳や英文和訳をしつつ英語を学ぶ、つまり「外にある英語」を「内にある日本語」と対比させる形で学習するのです。
一方のパルキッズは、いわゆる「イマージョン」流の英語習得法と同根です。文法を教えたり、単語帳方式で日英のことばをペアとして教えるというスタンスは取っていません。 ‘apple’ は「リンゴ」や「アップル」はたまた「アポー」ではなく、あくまでも ‘apple’ として子どもたちに与えていきます。考えてみれば理に適った方式です。 ‘desk’ はわざわざ「机」と言い換えなくてもその物体を ‘desk’ と理解すれば済みます。世の中の名詞は大抵この調子で、日本語に訳さず英語のままでも理解できます。心理学の世界では「即時マッピング」などと専門用語があるようですが、どうやら名詞は1回聞けば、大体の意味を子どもたちは理解してしまうようなのです。動詞や形容詞や副詞、名詞よりは正しく身につけるのに少しばかり時間がかかるようですが、それでも耳にして、あるいは時々目にしながら、子どもたちは日本語は日本語のまま、英後は英語のまま身につけていくのです。パルキッズのプログラムは、このように英語を習得させるように作られています。
このように育つ子たちは「エーゴ」という概念を知らずに英語を身につけます。子どもたちが日本語を身につける過程に置き換えると、それがとても自然なことであると分かります。生まれたばかりの子どもたちは「ニホンゴ」という概念を知りません。親も周囲も赤ちゃんに向かって「ニホンゴ勉強しようね」などと言ったりはしませんし、「ニホンゴを覚えて欲しい」と思ったりもしないのが正常です。「ニホンゴ」という存在は日本語で生活している限り、意識に上がって来ないのです。もちろん、日常的に日本語を使用しますし、幼児たちが耳にするのも日本語であることには間違いありません。しかし、幼児たちは日々両親が交わしている会話や、皆が自分に話しかけてくることばが「ニホンゴ」と呼ばれる言語である、という事実は知らないのです。
どんな子でも、2歳になる頃には身につけてしまう、コミュニケーションや思考にとても便利なことばが「ニホンゴ」という名前を持っていることに気づくのは、ずっと後のことです。しかし、皮肉なことに、「ニホンゴ」という概念を知らない子でも「エーゴ」という概念を知っていたりします。かなを覚えたての2、3歳の子に、英語で話しかけた母親が、ある日「ママ、エーゴでなくひらがなで話して」と言われてしまう、このようなご報告を何度か受けたことがあります。そんな子たちは自分たちが話していることばは「カナ」であると感じることがあっても「ニホンゴ」であることは、そのように周囲に言われない限り知らずに過ごしているのでしょう。やがて「カナ」は小学校に入ると「コクゴ」という概念となって彼らの前に姿を現します。これと同じように「エーゴ」ということばすら知らずに英語を身につけてしまうのが理想的です。パルキッズで育っている子が、もし「エーゴ」という概念を耳にせずに英語を身につけると、冒頭のような「ママのことば」、「としお君のことば」となって彼らの口から出てくるのです。
| バイリンガルのイメージ
ところで、「バイリンガル」とは一体どのような「こと」、主に「人」をさすのでしょうか。辞書で ‘bilingual’ の項をひいてみると、とある辞書では「2カ国語を自由に使える人、バイリンガル」と循環論法になっているほど広く日本語として受け入れられているようです。ただ、定義は曖昧なようで、「母語以外の言語(方言)を使える人」と幅広くバイリンガルを定義している辞書もあれば、「母語として2カ国語を使える人」と極めて限定的に定義しているものもあります。企業名や商品名に留まらず街中に英語があふれている現代の日本では、挨拶程度や、あるいは外来語として英語を知らない人の方が稀でしょうから、広義のバイリンガルの立場に立てば、ほとんどの日本人はバイリンガルということになります。逆に狭義に依れば、日本にはバイリンガルなどほとんど存在しないことになります。
近頃は文科省の締め付けが厳しいらしく、ひと昔前に比べて大学生が勉強するようになっているとか。出欠の確認や成績評価の分布も(優・良・可がそれぞれ何%と)厳し目のガイドラインに従うように大学の教授たちは指示されているそうです。このように、もはや研究機関として学生の自主性を重んじるのはやめて、中高の延長の様相を(お上からの強制で)呈している最近の大学ですが、それでも、しっかりと勉強しようと思ったら、大学院は当然のこと、大学でも英語は不可欠です。
最近では海外からの留学生も増えていて、英語で授業が行われることもアタリマエのようになっています。また、論文も英語で書かれる傾向で、先行研究に当たる際には海外の論文は当然のこと、国内で発表されたものでも英語で読むことが求められたりします。もっとも、専門的な知識をどうせ英語で学ばなければいけないのであれば、わざわざ日本語で改めて用語を覚える必要がないので、英語のままで突き進んだ方が楽と言えば楽です。そんなこともあり、まともな大学(院)生たちは、日常的に英語を使うことが要求されています。この意味では彼らは立派なバイリンガルです。しかし、そんな彼らは、自分たちのことをバイリンガルだとは思っていませんし、周囲も彼らのことをバイリンガルだとは感じていないでしょう。
やはりバイリンガルと言えば、留学生や帰国子女など海外で一定の学齢期を過ごした人たちを思い浮かべるのが一般的ではないでしょうか。まるで外国人のように流暢に英語を使いこなす。もっとも、それを耳にする人がバイリンガルでなければ、彼らの英語がどれほど正確であるかの判断はつきませんが、外国仕込みの強い押し出しと共に、ペラペラと英語で話されているのを耳にすれば、「ああ、バイリンガルなんだなぁ」と感じてしまうのも仕方がないでしょう。
そして、帰国子女や留学生のようにペラペラと英語を話せることが一般的なバイリンガルのイメージだとすれば、「バイリンガル子育て」のゴールは、やはり我が子がペラペラと英語を話してくれることとイコールになってしまうのも頷けます。しかし、バイリンガルというのは本来、日本語と英語なりを自由に使える人のことを指すのであって、英語をペラペラ話す人を指しません。英語をペラペラ話すのはアメリカ人やイギリス人など英語圏の人たちであって、日・英のバイリンガルは、日本語の環境の時には日本語、英語の環境の時には英語と使い分けるので、日本にいる限り、外国人が同席するなどの特別な環境下を除けば、彼らが日常的に英語で話すことはありません。私にも多くのバイリンガルの友人がいますが、その場に英語圏の人、もしくは日本語を理解できない人がいる環境でなければ、英語で話をすることはありません。つまり、当然のことですが、バイリンガルは見た目には普通の日本人なのです。
パルキッズで育つ子どもたちも同じです。彼らは英語を理解することはできるし、英語を口にすることもできます。しかし、日本人である母親や父親に対して英語で話すことはありませんし、ましてや友人たちの前では「(日本人に)同化」の作用が働くので、英語を口にしないことが正常なのです。「それでは英語が身についているか分からないじゃないか!」とのお声が聞こえてきそうですが、心配はご無用です。パルキッズで育った子どもたちが英語を身につけていることは、実験の数値や検定試験の結果となって現れてくるのです。
| 帰国子女の英語力
ところで、「バイリンガル」ということばを聞くだけで「英語だけペラペラ喋れてもダメだ」「英語より国語」などという向きもありますし、もちろん、いくら話せても内容が伴わなければ「英語」という宝の持ち腐れであることは言うまでもありません。(『パルキッズ通信2018年4月号』「生活言語と学習言語」参照)しかし、とりあえず今回は「内容」は横に置いておき、英語の「運用力」について話を進めましょう。
バイリンガルたちの英語の運用力、これは私にとってとても興味をそそられる対象のひとつです。「バイリンガル」というのは、能力や時間軸に明確な線を引けません。例えば、英検2級と準1級の間に「ここからがバイリンガル」という線が引いてあるわけではありません。2級しか持っていなくても英語を話せる人はいますし、準1級を持っていても英会話は苦手という人も多くいます。また、学習歴に照らし合わせて、海外に6ヶ月滞在したらその翌日からバイリンガルということでもなく、夢中に過ごしている内にある日気づいてみると「バイリンガルになっていた」というのがしっくりきます。気付けば英語が聞き取れるし、目や耳から入ってくる英語を日本語に訳すことなく理解している自分がいるのです。
実際、バイリンガルたちの間にも、その英語の運用力には随分と差があります。また、バイリンガルとネイティブの間にも、随分と英語の運用力における差があるのです。主に大学生を対象にした英語の聞き取り実験や、発話などの産出実験は、星の数ほど行われていますが、その中で興味深いものをひとつご紹介しましょう。
その実験では、上智大学の外国語学部(A)の学生と、別の都内の私立大学(B)の学生に対して、米語に特徴的な弾音化(’water’ が「わら」と発音される現象)の音を人工的に生成してそれを聞かせ、違和感があるかないかを答えさせています。Aの学生には、帰国子女や留学生が少なからずおり、また海外経験がないまでも高校時代には学内ではダントツの英語力を誇った者たち、英検でいえば準1級は当たり前、1級も珍しくないつわものばかり。一方、Bの学生は平均よりは英語はできるものの、それでもそこそこの英語力の持ち主たち。Aの方が高い成績を出したのは予想通りでした。また、同時に反応時間も記録していた(むしろ反応時間がターゲットの実験だった)のですが、Aの学生が1.2秒前後の早い反応を見せる一方で、Bの学生たちは1.7秒前後と比較的時間がかかることが観察されていました。
これだけ見れば、洋行帰りが多いAの方が総じて “純ジャパ(留学などで日本を出たことがない日本人を差すことば)” の多いBの方より「英語ができるね」というだけのことで、なんの新鮮さもありません。Aと比べられたBは少々お気の毒、ということで終わってしまいます。しかし、さらに掘り下げると、問題はAの英語の運用力がいかなるものであるのかということになります。果たしてAはネイティブ並の英語の運用力を備えているのか?気になるところです。
これに関しては少し衝撃的ですが、実験結果があります。つまり同様の知覚実験を行ったところ、ネイティブは0.6秒とか0.7秒という、極めて俊敏な反応を示しているのです。Aの半分の素早さで正答しています。つまりネイティブと比べればAもBも五十歩百歩。かなり英語でができると考えられているAすらも、英語が中程度以上のBとあまり変わらないという、残念な結果が出ているのです。これを聞いたら、さぞかしBの学生も溜飲を下したことでしょう。
| 本当のバイリンガルの知覚力
さて、いわゆる「バイリンガル」たち、Aの学生でも英語の運用力(上の実験では知覚力)においては、ネイティブには遥かに及ばないことが実験から導き出されましたが、さらに疑問は残ります。Aの中にも純ジャパ、留学生さらには帰国子女やハーフがいるわけで、英語力は様々であることは明白です。そこで、Aを十把一絡げにするのではなく、Aをさらに海外経験別に分けてみれば、ひょっとすると海外経験が長い帰国子女であればネイティブにより近くなるのではないか、という予測ができます。
そこで、私自身せっかく大学に属しているので、実験を行ってみました。
詳細は省きますが、ひと口に言えば子音の知覚実験で、実験では日本語と英語に共通の音(d, t, k, g, s, zなどなど)、英語に特有の音(l, r, th, f, vなど)と日本語と混同しやすい英語の音(dj, ngなど)から作った英単語(のような音)を聞かせて、それが英語であるかどうか判断させるタスクを与えました。
結果、海外経験の月数と成績は、正の相関関係にあることが分かりました。さらに、海外経験1年前後の留学グループと2年以上の帰国子女グループを比較したところ、これも有意に(偶然ではなく意味のあるデータとして)帰国子女グループの方が成績が良いことが分かりました。さらに、アメリカ人のグループと比較したところ、アメリカ人の方がこれまた有意に成績が高いという結果が得られました。
この実験では、海外経験と知覚成績の相関関係は見られたものの、海外経験の長い帰国子女も、結局のところネイティブの知覚力には敵わないという先の研究と同じような結論にたどり着いてしまったのです。もう少し帰国子女チームが頑張ってくれると期待していたのが裏切られた形の、残念な結果となりました。
やはり、日本人はアメリカ人には英語の知覚では敵わないのかと、あきらめの境地に立ち入るところでした。しかし、念には念を入れて、パルキッズの卒業生(大学生と高校生1名ずつ)に実験に協力してもらいました。そうしたところ、思いも寄らぬ結果がを得ることができました。
彼らがトップを独占してしまったのです。留学生は言うまでもなく、帰国子女たちを尻目に、さらアメリカ人たちすら凌駕した、ダントツの得点をあげてしまった(くれた)のです。データが少なかったので、学術的なハードルはクリアしているとは言えませんが、それでも統計ソフトなどにかけてみても、十二分に有意を示す数値を得られました。
帰国子女たちの平均滞在年数が4年であることを考えると、日本に居ながらにして、家庭でできるバイリンガル教育の威力に改めて驚かされました。加えて、帰国子女たちの平均渡米(英)年齢が6歳であること、つまりこの英語教育のスタート年齢に何らかの鍵が潜んでいることを示唆する結果となったのです。この点が今後の研究課題のひとつでしょう。
| ダブルスタンダード?なんてことはあり得ない
世の中には早期英語教育に対する “アレルギー” とも “やっかみ” ともつかない反対勢力がいて、小さい頃の英語は「ダブルスタンダードだ」とか「英語より日本語だ」などの声が未だに根強く存在します。パルキッズで育つ子どもたちを見ていて、日本語も英語も中途半端という子にはお目にかかったことがありません。それどころか、パルキッズに取り組まれるほどに見識の深いご両親は、当然のことながら、英語をゴールだとは考えておらず、子どもたちが未来を切り開くための数ある能力のひとつとして英語を捉えていらっしゃることでしょう。そんなご家庭に「英語だけできて日本語はできない子」や「日本語も英語も中途半端な子」が育つわけがありませんね。
世の中の常識が変わるのには、一世代(つまり30年)かかると言われます。かつて地球は平らだったわけですし、日は昇ったり沈んだりしていたわけです。新しい発見があっても、それが常識のレベルまで広がるには時間がかかります。おそらく、今、英語育児をしている段階で、英語教育に対する世の中の見方が変わることはないでしょう。しかし、次の世代が育児をする頃には、幼児英語教育は常識になっている可能性は極めて高いといえますし、そう願っています。
最後になりましたが、2019年も皆様にとってよい年であることを願ってやみません。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。