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2019年2月号特集

Vol.251 | 外国語習得に成功するたったひとつの方法

「入力」の方法とその質と量

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1902/
船津洋「外国語習得に成功するたったひとつの方法」(株式会社 児童英語研究所、2019年)


英語に触れる時期は早くなっている

特集イメージ1 私などの世代では、英語は中学校から始まる教科でした。みな横並びでスタートするので「頑張れば英語だけでも優等生になれないこともない」、そんな時代でした。もちろん、それまでの学習習慣や地頭によって “教科としての英語” の習得は左右されるので、やはり頭のよい子が一歩抜きん出るのは仕方がありません。
 私のケースではフライングスタートで、小学5年生から “近所の英語が得意なおじさん” のところで中学校の先取りをしていました。中学校に入る頃には、中学の英語は終わっていたので、“教科としての英語” に関しては優等生でした。ズルしたのですから当然と言えば当然です。
 時代は変わったもので、今日のアラサーから下の世代は小学校で英語の洗礼を受けています。「ゆとり」とセットの「総合的学習の時間」で外国語活動として、派遣されたALTの授業を受けたことのある人が大半でしょう。
 小学校の英語は、十年前には必修化され、来年度からは評価対象の教科となります。もっとも、中学英語の分野を侵食しては、中学の英語の先生が食べはぐれてしまう(?)ので、伝統的な文法や和訳中心の学校英語とは一線を引いて、インタラクティブな授業のスタイルが採られます。耳にしたこともあるかも知れませんが、CLIL(内容言語統合型学習)と呼ばれる学習スタイルです。


それでも英語はできるようにならない

特集イメージ2 中学校から英語がスタートしていた頃には、英語を身につけられる日本人はごく希でした。そこで中学校からのスタートでは遅いので、小学校へと前倒しになったわけですが、結局日本人の英語力はあまり上がっていません。「一体何のための小学英語なのか」と言いたくなります。
 いろいろ言い分はあるようで、「英語に対する抵抗がなくなった」とか「人間の多様性理解の一環」など言われますが、いやいやちょっと待って下さいな、英語の授業なんだから「英語」ができるようになっていなければ意味ないでしょう、と言いたい。
 何が問題なのでしょうか?中学では遅いので、小学校に前倒ししたわけです。そこでは非難の的となっていた学校英語の問題点、つまり「文法中心、和訳中心」の英語教育ではなく、ネイティブとの直接のやりとりを通して英語に親しもうとする、 “最新・最先端‼︎” のメソドを採用しているのです。それでも、英語ができるようにならない。
 「それでは!」とばかりに、東京都は TGG(東京グローバルゲートウェイ)なるものを立ち上げて、子どもたちが(もちろん有料で)1日なり半日間、英語漬けになるテーマパークの運営を始めました。実際に体験したわけではありませんが、内容を見ると、キッザニアの英語版、いや、英語でお店屋さんごっこする様な場所のようです。
 だったら、英会話学校に任せておけば良さそうなものですが、それでは通える余裕のある子とそうでない子とで差がついてしまう。その解決として「では、公教育で英会話をやろう!」ということになってしまったとしか、私のようなぼんくらの目には映りません。
 そもそも、英会話スクールに通って英語が身についたという話も聞かないわけです。そんな英会話を水で薄めて学校やテーマパークに持ち込んだところで、効果は期待しにくいのは明らかでしょう。


英語をできるようになった人はいるわけで…

特集イメージ3 いやいや、ちょっと待って下さい。それでも、英語をできるようになった人はいるわけです。私もそうです。フライングスタートでズルをして、さらに留学という裏技を使って英語を身につけてしまったわけです。(自分で言うのもなんですが)そのような恵まれた環境にあったので、英語を身につけられたと言えます。
 フライングスタートという意味では、小学校から英語の授業を受けた世代は、私同様にズルをしたわけです。しかし意地悪な見方をすれば、彼らはズルをしたにもかかわらず英語を身につけられなかったことになります。それでは、同じズルをしても英語を身につける人とそうでない人がいる。両者の違いはなんなのでしょう。
 また、私のように留学という裏技で英語を身につけてしまった人がいます。他方で、留学をせずに日本に居ながらにして英語を身につけてしまった人も、(少ないながら)確実に存在します。そのような限られた少数と、英語を身につけられない大多数では何が違うのでしょうか。
 ちなみに、既に答えはあるのです。
 1980年代には外国語習得には、文法などの「学習」ではなく、「入力」による「習得」が肝要であるという指摘が成されています。また、その後もどんどん研究が進み、ちょっとやそっとの「入力」ではなく「大量の入力」が大切であることも、広く知られるようになっています。また「早期」からの学習が外国語の習得に重要であることは、感覚的な常識として広く共有されています。
 つまり、外国語の習得はなるべく「早期」に「大量の入力」を行うことによって、自然と「習得」させるのが良いことは分かっているのです。


6歳への「早期」前倒しだけではダメらしい…

特集イメージ4 小学校高学年が対象だった外国語活動は、来年からは中学年からの教科になりますが、それでもまだまだ甘い。実質、低学年から英語の授業を課している自治体も少なくないのです。小出しにするよりは思い切って「幼稚園から英語の義務化!」くらいにしてしまえば良いのですが、幼稚園自体が義務教育でない現状ではそれは無理でしょう。
 いずれ、英語の教科化の波は小学校低学年へと向かうのでしょうけれども、それが文科省の権限の限界です。それでも、小学1年生から英語をスタートすれば、相当な英語力の向上が期待できると、期待する向きもあるでしょう。
 しかし、結論から言ってしまえば、小学校入学と同時に英語が課されたとしても、全体の英語力の底上げには直接結びつかないと思います。
 理由は単純。
 「入力量」が少ないから。
 1コマが45分の授業で、年間35コマや70コマ、1年間で英語に触れるのは26~52時間なので、6年間続くと考えると600時間になります。これだけ取り組めば英語を身につけられそうですが、なかなかそうは問屋が卸しません。
 なぜならば、我々の時代、普通に中学校から英語を開始して、学校や塾、または宿題として英語を勉強する時間は高校までの6年間で1500~2000時間に上ります。大学受験をするならば2000時間以上勉強することになるので、半数以上の高校生が大学へ進学する今日、半数以上の日本人は2000時間以上英語に触れています。それでも英語ができるようにならないわけです。なぜ、小学校で600時間英語に触れれば、英語ができるようになると期待できるのでしょうか。


大量に「勉強」してもダメみたい…

特集イメージ5 外国語をはじめとした言語を身につけるのに必要な時間は、1000時間だと考えています。大体1000時間で、英語なら英語を日本語を通さずに理解できる、基本的な回路が出来上がります。ただ、それだけではダメで、その後に読めるように育ててあげることで、「一生消えない英語力」を身につけることができます。
 つまり、基礎で1000時間、仕上げに1000時間の都合2000時間で日本語並みの英語力は身につくと、私は考えています。
 学校英語では2000時間取り組んでも英語が身についていないことから、学校英語の問題点は時間の多寡でないことは分かります。時間だけ見れば、十二分に英語には取り組んでいます。つまり、問題は、その方法。
 冒頭に書いたように、方法論が間違っているので、いくら時間をかけてもうまく行かないのです。では、何が必要なのかというと、「入力」です。つまり学校英語は英語の入力になっていないのです。
 英語の入力とは何なのでしょう?
 言うまでもありません。英語の音声の聞き取りであり、書かれている英文の読み取りです。学校英語では、読んだり聞いたりする量が少なすぎるのです。2000時間もかけているわけですから、文法は500時間くらいにして、あとは読解に1000時間とか、英語特有の音声のトレーニングやそれに伴う聴解力の時間を500時間くらい採れば、現在の学校英語の枠の中で、少なくとも全員を英検2級レベル、多くの部分を英検準1級レベルの英語力まで引き上げることがようやく現実味を帯びてくるでしょう。


結局は「入力」です

特集イメージ6 小学校英語で600時間といえば、相当な重みを持っています。ただ、「入力」が足りない。なぜでしょう。まずは単純に「1000時間」に満たないという点です。そして、もうひとつは、やはり「入力」量が少ない点です。
 600時間触れるとしても、単純に英語に触れるのではありません。ALTが英語で話し詰めだったり、絵本をずっと読んであげるのなら話は別です。それは「入力」としては質が高い。しかし、小学校英語では、やれ「コミュニケーション」だの「思考力」だの余計なものがついてくる。つまり、時間がかかる割には、入力という点からすれば、その量は少ないのです。
 そして、小学校英語で600時間英語に触れるようになっても、結局は「入力」が足りないことから英語は身につかないでしょう。中学校英語も現行のままで変わらないのであれば、そんな彼らの英語力向上は期待できそうもありません。
 では、どうすれば良いのか。
 「入力」すれば良いのです。


入力の方法とその質と量

特集イメージ7 英文を耳からなり目からなり「入力」すれば英語は身につきます。ただ、年齢や英語の知識量によって、英語の「入力」の方法は異なります。
 夏目漱石先生は、学生に向けて「初歩の文法を修めたら、あとはひたすら読め、分からなくても辞書など引かずに読み飛ばせ。そうしたら英語は分かるようになる」(もっと格調高い口調で)このように言っています。
 そうなのです。中学校である程度文法を身につけたら、あとは読めば良いのです。それが「入力」となって、英語の「獲得」に至るのです。中高生でも「入力」を増やせば英語力の底上げに繋がることは、『7-day English』を使って私が実際に行っている中学生向けの講座でも実証済みです。
 また、まだ日本語の分節知識が曖昧な幼児期であれば、耳からの英語の「入力」が可能です。人間は幼児期限定で耳から聞くだけでことばを身につける能力を持っています。それ故に、日本語を身につけられるわけです。その能力を使えば、英語も身につけられるという考え方です。これに関しては、『パルキッズ』で無数の子どもたちが、基本的な英語力、つまり聞いて理解できる能力から読んで理解できる能力を身につけていることからも実証済みです。
 幼児に英文法を教えても時間の無駄ですし、英文を読めない幼児に多読は無理です。また、中学生以上に闇雲に英文を聞かせても、英語を身につけるには至りません(この点に関しては『パルキッズ通信2018年10月号』音のカテゴリー化参照)。このことからも、中学生以上には多読、幼児期には多聴と、入力方法の選択が重要であることがご理解いただけると思います。
 では、中学生のように英語を読めるわけでもなく、幼児のように聞くだけで英語を身につけるような魔法のような能力も消えてしまった、小学生はどうすれば良いのでしょうか。
 彼らには、ただ聞かせるだけではなく、またただ読ませるだけではない方法が必要になります。ひとつには、フォニックスに代表される「音の学習」です。また、フラッシュカードを使った単語の直感的な入力は極めて効果的です。その上で、英文を大量に耳から「入力」することで、幼児期の多聴や青年期の多読のように英語を「獲得」することができるのです。


正しくない入力では、正しくない成果が生じる

特集イメージ8 正しい入力に関しては、ずいぶん前のことですが『パルキッズ通信』でもゴルフのスイングを例に触れています。
 ゴルフのスウィングには正しいスウィングとそれ以外しかないそうなのです。そして、それ以外のスウィングはいくら練習しても意味がない。意味がないどころか有害だそうなのです。
 なるほど、そう言われてみれば、頷けます。間違えたスウィングを練習して、それが身体に染みついてしまえば、それを矯正するの大変なことでしょう。それなら、最初からけちって独習などせずに、良いコーチについて正しいスウィングを身につけた方が余程費用対効果が高いわけです。
 これは、ベストセラーとなった『世界標準の子育て』の著者で、私の実弟が言っていたことですが、曰く、優れたテニスのコーチのすることは「球出し」だけなのだそうです。そのようにして、優れた正しいフォームをひたすら身につけていく。これがテニスの上達の王道の、というか第一歩だそうです。
 さて、それでは正しい英語の入力とはどのようなものなのでしょうか。これも『パルキッズ通信』で触れましたが、正しくない英語の入力をすると、正しくない英語を身につけてしまうそうなのです。
 これも、なるほどと頷けると思います。例えば、言語衝突が起きたときの一時的な回避手段としてピジン(pidgin)が生まれます。「シングリッシュ」などで知られるクレオールはピジンのなれの果てです。ようは、ピジンのような正しくない(もちろんそれが悪いと言っているのではなく、単純にオーソドクスな英語ではないという意味です)英語を母語とする環境に育つピジンの母語話者はオーソドクスな英語ではなく、クレオールという新しい英語を母語として身につけることになるのです。この現象はハワイなど、かつて言語衝突の起こった地域でも、未だに残っています。
 繰り返しますが、オーソドクスな英語以外を否定するつもりは毛ほどもありません。しかし、どうせ身につけるのであれば、わざわざ亜流の英語を身につけさせる必要はないでしょう。その意味でオーソドクスな英語を正しい英語と言っているのみなので、他意のないことは、くどいようですが付け加えておきます。


良質の英語とは?

特集イメージ9 さて、質に関して「正しい」と「それ以外」があることが分かりましたが、それでは、英米を始めとする主に英語ばかり話す人たちの住む英語圏(フィリピンなどの準英語圏ではない)の出身者の英語であれば、それが「正しい」英語なのかといえば、確かに、それは「正しい」英語であることは間違いありません。
 しかし、正しい英語であれば、何でも良いから入力をすれば良いというものでもないのです。括弧付きで「理解可能な」と付け加える必要があります。
 初歩ながら英語を読む技術を身につけた中学生が、多読に挑戦しても失敗するケースが多い。大人でもそうです。大学まで進んだ、かなりの英語の知識を持っている人でも多読には失敗することが珍しくありません。なぜでしょう。これもシンプルです。「理解可能」ではないからです。
 理解できないものをひたすら読むのは、それこそ拷問のようです。長続きするはずがありません。従って、断念してしまい、結果として多読にならないのです。多読するためには「理解可能な」レベルのテキストが必要になるのです。
 幼児に対して大人のリスニング教材を与えても、上と同様のことが起きます。理解できないので、幼児たちの脳が「この情報は関係ない」と切り捨ててしまうのです。もともと人間の活動には「経済性原理」が働いていて、この原理に則ると最小の労力で最大の効果を得られるように「手抜き」をするようにできているのです。幼児に言語習得にはこの原理が強く作用しています。
 つまり、「理解可能な」レベルの情報を「入力」しなくては効果は得られないのです。そして、それこそが「良質の入力」となるのです。英語の理解のレベルは人によって異なるので、各人の学習レベルにピタリと合った「入力」が重要なのです。


量はどのくらい?

特集イメージ10 例えば、アメリカに留学する留学生が、初歩の聴解力を身につけるのに「3~4ヶ月」かかると言われます。私も、遠い昔留学前のオリエンテーションでそのようなことを聞きました。
 現に留学してみると、暗示がかかっていたのかどうかは定かではありませんが、確かに4ヶ月ほど経った頃に、英語がまるで日本語のように自然と理解できるようになっていることに気づきました。
 この点は分かりにくいかも知れませんのが、少し説明します。英語を日本語のように理解できるというのは、もちろん英語を一瞬にして日本語に訳せるようになることではありません。例えば「昨日の晩ご飯何食べたの?」と聞かれたら、昨晩の晩ご飯を思い出そうとする、あるいは昨日の夕食のイメージがパッと脳裏に浮かぶでしょう。
 それと同じことが、英語でも起きるということです。
つまり “What did you have for the dinner last night?” と耳に入った瞬間、もしくは目に入った瞬間に、頭に昨晩の夕食が浮かぶことが、すなわち、日本語のように英語を理解することなのです。ステキですよね。
 さて、そのように英語を直感的に理解できるようになるまでにかかる時間が3~4ヶ月。この間留学生たちは寝ても覚めても英語漬けです。朝起きればホストファミリーの英語、続いて学校、部活、家に帰っても英語です。この点、帰国子女たちは滞在期間こそ留学生より長いものの、家庭内では日本語を使うので、留学生よりはぬるま湯的とも言えます。
 1日にどれほどの英語の「入力」があるのか考えてみると、7時に起床して11時に寝るとして、学校にいる間の7時間と部活を含めれば8~9時間は良質の英語に触れていることになります。また、帰宅してから家族との会話や宿題として英文に接することも考えると、2~3時間はプラスして12時間ほど英語を目や耳にしています。ただ、土日はぐっと減るでので、1日平均10時間としましょう。
 1日10時間を3~4ヶ月ですから、ざっと1000時間です。やはり、このくらい英語に触れれば、英語を直感的に理解できる能力は身につきそうです。


幼児が日本語を身につけるのも1000時間

特集イメージ11 ひとつの言語を身につけるのに1000時間の「理解可能な」「良質の入力」が必要なのは、幼児が母語を身につける過程にも共通しています。
 赤ん坊は、1.5歳から2歳までに直感的な母語の理解の回路を獲得します。そして専業主婦が一人目の子どもを育てる場合に、その1年半から2年間で、幼児が耳にする日本語の量は大体1000時間なのです。
 留学生も1000時間、幼児も1000時間。やはり、1000時間というのが、直感的な限の理解回路を身につけるために必要な「入力」の量の、ひとつの目安になりそうです。

 さて、今回はことばの習得を「入力」という側面から観察して参りました。
 言語を身につけるには、文法などの勉強ばかりでなく「入力」が必要であることが分かりました。また、その「入力」も何でも良いわけではなく、年齢や対象言語の能力に応じて耳からだったり目からだったり、あるいは両方からの「入力」が必要であることも分かりました。
 入力の質もなんでも良いわけではなく「理解可能な」「良質の入力」が重要で、量に関しては「1000時間」が、まずはひとつ目の目安であることも分かりました。
 このような考え方をまずは、理解していただいて、その上で「正しくない入力」をしていないか、「理解不能な入力」をしてはいないか、量的には満足させているのか、はたまた、本人の年齢や理解のレベルにあったものを与えているのかなどなど、現在の取り組みを確認してみると良いでしょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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