パルキッズ通信 特集 | カタカナ英語, シンタクス, 大量インプット, 文法, 言語学
2020年3月号特集
Vol.264 |「和文英訳」ではなく「最初から英語で考える」コツ
英語に敬意を払って学べば身につく「おもてなし英語」
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2003/
船津洋『「和文英訳」ではなく「最初から英語で考える」コツ』(株式会社 児童英語研究所、2020年)
日本人が作る英文はどこか妙ちくりんでへんてこりん?
”Let’s 55!” は、東京オリンピックに先駆けて55種のスポーツ体験をしよう、という企画の名称だそうです。かけ声としては悪くはないのかも知れませんが、英語としてはいかがなものなのでしょう。また、オリンピックの主会場となる新国立競技場も、その英語表記で、特に国内の外国人から酷評を受けています。
”The moon ultra parking(月極駐車場?)” に始まり、”Please push the under button(?)”、しまいには “Joho no Niwa(情報の庭)” となると、これは外国人向けではなく、ひらがなや漢字の読めない日本人(そんな人がいるのかどうかは別として)向けのローマ字表記です。”Hello, our stadium” は、まぁまぁご愛敬としても、一体「誰」が「どんな気持ち」で英訳したのか気になります。そして、そのようにして作られた英語が「誰の裁可」を経て、税金を使って作られる「看板」に印刷されるに至ったかにも興味をそそられます。
このような妙な英語、いわゆる「日本語英語」の産出は行政に限ったことではありません。その他にも “New Naive(新たな世間知らず)”, “nail remover(爪除去剤)”, “Under popular Sale!(好評発売中?)” などなど、少し注意して街の看板を眺めれば、奇妙な英語の宝庫です。
別にこれらの英語を笑っているわけではありません。マスコミや文科省もこぞって「文法など気にせずに英語で喋ってみよう」と強調しているので、まぁ、これらの奇妙な表現はそれら権威の影響の産物なのでしょう。
もちろん、文法を気にせず話してみよう、コミュニケートしようという気持ちを否定するつもりもありません。個人としては「もう少し英語に敬意を表しても良いのでは?」とも思いますが、母語である日本語すら次々と改編していく民族性(どの言語もそうですが)と、外国語を取り入れるに当たっては融通が利きすぎるくらいの柔軟性を持つ私たちですから、どうぞどうぞ。どんどんやれば良いと思います。
ただ、「おもてなし」を言うならば、こちらの「英語で話したい欲求」を満たすだけではなく、「先方に伝わる英語」を使いこなすべく、もう少し努力した方が良いのではないかとも思います。また、強調しておきますが、それ(何でも良いから英語で話してみること)と英語を身につけることとはまるで別の話です。
ということで、今回は「日本語英語」ではなく「伝わる英語」を生み出すコツを考えていくことにします。
なぜ変な英語にあふれているのか
このような英文(日本語英語)を産出する皆さまは、おそらく「日本語は英語に訳せる」と信じていて、「ひょっとして日本語は英語に訳せないのでは?」と疑ったことすらないのかもしれません。そして、逐語訳を経て日本語から訳された英語は、英語話者に「伝わるはず」と思っているのかもしれません。
結論から言えば、日本語を完全に英語に訳すのは極めて難しいことです。もちろん、逐語訳から導き出される文の意味を文脈から特定して、それに相当する英語の表現に置き換えることできます(例えば「私はウナギだ。」から “I will have unagi eel.” に無理矢理変換)。しかし、とある英文を構成する要素、つまり単語を日本語に置き換えて、それを日本語の統語規則に従って並び替えたところで、その英文の意味は得られないことが少なくありません。
この理由として、以下の3点が挙げられます。
1.文は文脈の中でしか意味を成さないこと
2.人によって文の発想が違うこと
3.日本語と英語の統語規則の差
文脈の中でしか意味を成さない点(1)に関して、例えば、”I can drive.” はどのような意味かを考えてみると、どうでしょう。’can’ は日本語では「できる」と訳されるので「私は運転できる」となります。しかしこの文は、「法的に許されている」と「技術的に能力を有する」の2つの意味を含んでいます。そのどちらかを指示するのが文脈です。
また、例えば「猫だ!」「ほらっ(見たことか、やってみな…)」「やばくない?」などは日本語において立派な文ですが、個別に切り出された発話からは意味が分かりません。やはり、文脈を知らなければ、文の意味は分からないのです。
人によって発想が異なる点(2)においては、直感的にご理解いただけるでしょう。英語では ‘voice’ といわれますが、人によって物事の切り出し方、語の選択を含めた表現が異なります。これが、その人の独特の「口調」「話し方」です。ただ、ここですでにお分かりいただけるように英語の ‘voice’ すら日本語の適訳を見つけるのが難しいのです。
ただ、その ‘voice’ の違いで、表現はずいぶんと異なってきます。小説家であれば、それが作家独特の語り口になるわけですし、口頭で表現されれば「心に残る演説・説法」となるのでしょう。つまり、ひとつの「意味」を表すのには、無限の ‘voice’ があるのです。その選択の仕方によって、受け手側に「読みやすいなぁ」あるいは「面白いなぁ」と感じさせたり、「(本誌のように)小難しいなぁ」と感じさせたりもします。
さらに、語の価値は言語間で異なります。動詞は切り出す意味の幅が異なる(’see’ =「見る」ではない、’drink’ =「飲む」ではない)ことが少なくないので、日本語と英語との一対一の対応は困難です。さらに境界がハッキリしている名詞ですら、往往にして日英で語が異なります(「椅子」が ‘chair’, ‘stool’ 等)。
また、日本語では「かき混ぜ(という現象)」で語順が変化しても、文の意味が変わらない(3人学生が酒を飲んだ。vs. 学生が3人酒を飲んだ。)のに対して、英語の文の意味は語順で変わって(Mary loves Bob. vs. Bob loves Mary.)しまいます(3)。
このように、文の「意味」は、語の指示する範疇と統語規則によって正しく作文されることが大前提で、さらに文脈に依拠し、’voice’ を選択された上で話されたり書かれたりすることで、ようやく先方の脳に知覚されることになります。我々は、結構複雑なことを直感的に行っているのです。
特に、日本語と英語では語の意味範疇と統語規則が大きく異なるので、日英の直訳式では心の中の「意味」を、先方の心に届けることができていないことが珍しくありません。
僕の研究対象が音声なので、「パルキッズ通信」では言語学の中でP-sideと呼ばれる音声学・音韻論(Phonetics & Phonology)の記述が多くなっていますが、今回はS-sideと呼ばれる統語論・意味論(Syntacs & Semantics)に焦点を当てて、皆さんの心の中の「意味」をいかにして英語の「ことば」に置き換えれば、相手の心に届きやすくなるのかを、さらに考えて参りたいと思います。
本場のインドカレーと和風カレーの違い
そもそも日本語と英語では「心の中のイメージ」を「ことば」に変換する「ルール」が異なります。作り方が違うのです。
適当な例が思い浮かばないので、ちょっとショックを受けた例をご紹介しましょう。
皆さんはチキンカレーを作るときどんな順序で作りますか?恐らく、肉や野菜を炒めてから、それを煮込み、最後にスパイスや味を足すのではないでしょうか。
これは和風な作り方です。和食の専門家ではないので自信半分ですが、基本的には和食の煮物の場合、まず出汁(スープ)を取って、食材に火を通し、出汁と共に煮込み、砂糖、塩、醤油、味噌などで味を加えます。そして、香辛料は最後にお好みで、となります。
ところが、僕が教わった南インド料理では、この順序が逆なのです。
まず香辛料を炒めるところから始まります。その後、タマネギの甘みとトマトの酸味を加え、スパイスと共に煮込み、塩で味を決めます。そして、最後に鶏肉を入れてそこから出汁を取るのです。和食の「出汁→煮込み・味→スパイス」と逆で、印風は「スパイス→煮込み・味→出汁」なのです。
さて、そこでインド料理の食材(スパイス、塩、具材)を使って、和風の手順でカレー作り方をすると、どうなるでしょう?まず肉と野菜を炒めるところから始めて、スパイスを投入するタイミングに戸惑ったりするのかも知れません。そして、煮込んだあとにスパイスを入れたりすると粉っぽくなったりします。
カレー作りを、文を作ることに例えれば、調理の順序が「統語規則(symtax)」で、その調理方法に適した材料(印のスパイスや和のルウ)や食材が「語(lexicon)」ともいえるでしょう。本場のインドカレーを作りたければ、印の食材を印のルールで作ることが大切です。
英作文する場合にも、英単語を使うのであれば、英語の統語規則に則って作ると本場の英語となるのですが、英単語を日本語の統語知識の影響を受けさせながら作ると、冒頭の妙ちくりんになってしまいます。
繰り返しますが、「和風カレーで何が悪い」「本場の英語でなくて何が悪い」と言われれば、それまでですし、和風カレーにはそれなりの、和風英語にもそれなりの味わいがあるので、それを楽しむ向きは大いに楽しんでいただければ結構です。
ただ、実用的なレベル・本場で通用するレベルの英語を身につけたいならば、やはり、英語の統語規則に敬意を表する必要があることは間違いないでしょう。
日本語のやり方の「癖」を知る
日本語は、とても自由なことばです。主語もいらなければ、代名詞もいらない。場合によっては格助詞も省くことができ、動詞や形容詞のみでも文を成すことができます。しかも、語順もかき混ぜる(「長居し過ぎ」を「長く居過ぎ」と言ったり)ことが許されています。そんな日本語の自由さに慣れている我々からすれば、英語の文法の厳しさは身に染みます。
繰り返しますが、英語にはまず主語が必要であり、主語がない場合には ‘it, there’ などの虚辞と呼ばれる語を主語に置いたりします。また、英語では語順が格を纏うので、格助詞が名詞にくっついていれば文のどこにあっても意味が通じる日本語とは異なります。さらに、時制を纏った動詞が必要であったり、単数名詞には例外を除き冠詞(a, the)が必要だったり、文法関係を表すため、動詞に屈折辞(~s, ~ed)の正しい使用が必要だったりします。
これらを英文法として教わるわけですが、辟易としてしまう日本人は少なくないでしょう。現に僕も文法には詳しくありません。しかし、英語は使えます。なぜかはよく分からないけど、文法的に正しいか間違えているかは判断できるのです。同様に、日本語の文法を説明できない日本人でも、「彼が太郎です」と「彼は太郎です」を使い間違えることはありません。
これらを学校で教わる、いわゆる英文法や国文法のような規範文法とは区別して記述文法と呼んだりします。そして記述文法(頭の中にいかなる無意識の文法規則があるのか)を研究するのが、統語論(syntax)という学問であったりするわけです。
さて、英語より遙かに自由に使えて、語順も省略も自由に見える日本語ですが、日本語には英語と違う特徴がいくつかあります。そして、その特徴は「無意識の統語知識」として私たちの心に根ざしていて、英作文をするときにも、どうしても現れてしまうのです。そんな日本語の特徴をいくつか挙げると、繋(けい)辞(○○は~だ)の多用、軽動詞の多用、一般動詞に「コト」をつけて名詞化してしまう、などが挙げられます。
これらは、無意識のうちに行っている癖なので、普段はなかなか自覚できません。それでは少し詳しく見ていくことにしましょう。
繋辞「~だ」文の多用を避けること
繋辞とはラテン語の ‘copula’ の訳で「共に(con)結ぶ(apio)」という意味です。日本語なら「~だ」「~です」「~である」の類いで、英語では be動詞や ’become’ などがこれにあたります。
日本語では、この繋辞の使用が際立って多いのです。日本語では繋辞を用いた「~だ」と一般動詞の「~する」を用いて文を作りますが、ご自身で話す文を気をつけてみてみると「~する」より「~だ」の文が思いの外多いことに気づくかも知れません。
繋辞を用いた文では、名詞述語文、形容詞述語文、動詞述語文や先出の「ウナギ文」などがあります。
形容詞述語文は、英語のbe動詞+形容詞の文とほぼ変わりませんが、残りの述語文(名詞述語文、動詞述語文)とウナギ文は、英語ではなかなか表現できません。
例えば、名詞述語文には「今日は病院だ。」「今度は郵便局だ。」などが挙げられます。動詞が省略されていることが分かります。
また、動詞述語文には「彼は7時に出発だ。」「(今日は妻の代わりに)私が洗濯です。」などがあります。ここでは(意味的な)動詞が、名詞のように主語と繋辞で結ばれています。
これらを言葉通りに英訳すれば、さながら “Today is the hospital.” “Next is the post office.” “He is at seven o’clock departure.” “I am the laundry.” などとなります。もちろん、前者も後者も英語には存在しない表現です。
こと「ウナギ文」に至っては、いくら英語の規範文法に照らしてみて、英語の語彙を駆使しても、英語に直すことは不可能です。「私はウナギだ。」は、どう頑張っても “I am an eel.” にしかならないのです。
これらは日本語の「癖」とでも呼べるでしょう。日本語の世界では頭に浮かんだイメージを「○○は~だ」の形に置き換えるオプションが英語より多いのです。
「私はウナギだ」を例に取ってみましょう。この文の背景にはまず、ウナギを含む他の料理を提供する店で、家族や友人と何を頼むか思案する中、「鰻が食べたい」と感じた場面が想定できます。そして、他の人がウナギ以外の皿を注文する中この発言が出てくるわけです。
つまり「(他の料理もあるが)鰻が食べたいなぁ」と感じ「私は(この係助詞「は」は「私に関していえば」というテーマを表しています)」「(食べたい/注文するものは)ウナギだ」がでてくるのですが、英語の場合には、作り方を変えなくてはいけません。あとでも触れますが、繋辞「~です」を使わず、一般動詞の「~ます」を選べば良いのです。つまり ‘eat’, ‘want to eat’, ‘will order’, ‘will have’ を使えば、それだけで英語の文らしくなります。
軽動詞「~します」ではなく「~ます」にはまる動詞を選ぶ
軽動詞とは、英語では ‘give a try’, ‘make a mistake’, ‘have(take) a break’, ‘do my job’ などで、日本語の「~します」に該当します(←これは軽動詞です)。
動詞が「見ます、寝ます、食べます、行きます」など「~ます」で表せるのに対して、軽動詞は「勉強します、外出します、料理します、食事します」など「名詞+します」の形を取ります(←これは動詞です)。
英語にも、 ‘do some homework’, ‘do some cooking’ などの表現があります(←動詞)が、それらはどちらかと言えば「強調」を表現するのに使われます(←動詞)。日本語の軽動詞「名詞+します」とは少し意味合いが異なります(←動詞)。また、英語の場合には、名詞化した動詞に ‘do’ をつければ良いわけではなく、「外出」「食事」などを ’do some going out’, ‘do some eating’ などは言いません(←動詞)。
上記のように、英語の軽動詞を使った日常表現はたくさんありますが、英語の軽動詞の中でも特に ‘do’ を避けることで、日英作文が日本語的になることを避けることができます(←コト化)。
繋辞の「~です」と軽動詞の「~します」が頭に浮かんだら、それらの動作を表す一般動詞を英語の語彙の中から探してみましょう(←動詞)。
「コト(命題)化された主語」が浮かんでしまったら・・・
これも日本語の表現の中で極めて頻繁に見られます。「○○するコトは~だ」「○○であるコトが~する」といった表現です。
先日、「(検疫中の船から家に)帰れるコトができた」とインタビューに答えている方をニュースで見かけて、「こういうコトなんだよなぁ」と感じました。少し奇妙な日本語ですが、それとなく聞いていれば聞き逃してしまうほどの違和感ではないでしょうか。英語に直そうとすると、「帰れるコト (’that I (we) can go home’) ができた(’made possible’)」となってしまいます。
本来なら単純に「帰れた(’(I/ We) could go home’)」で済むのですが、日本語のくせの1つである「コト(命題)化」によって、文が複雑になってしまうのです。
英語の場合には、命題が主語になる場合には、虚辞の ‘It’ を使って「’It (is) ~’(命題がどうなのか)」を先に述べてしまい、その後に時制を伴った定形あるいは不定形で「’that (to)~’(命題)」を述べることになります。
察するに、英語には主語が必要であるというルールがあって、さらに平叙文の場合、主語は動詞より前に現れる必要があるので、主語が長くなり過ぎて動詞の登場までにイライラが募るのを避けるために、まず虚辞をおいているのかなぁ、などと想像したりまします(あくまでも想像です)。その点、日本語は動詞やさらに否定辞が、文の最後に来るのが常なので、冒頭の主語の部分にだらだらと長い命題を持ってくることもできます。
この日本語の癖が抜けないと「○○するコトは~」と、命題を冒頭に持ってきて英作文してしまうわけです。
主語が句(命題)になりそうなときには、’It (is) ~’ と文全体の構造を提示してしまって、あとでゆっくりと命題を述べると英語の文らしくなります。
辞書の訳を適当に使えばどうにかなる、というものではありません
さて、日本語の癖、つまり「頭の中のイメージ」を「ことば」に変換するにあたって日本語特有の変換規則があることを述べて参りました。主に「繋辞を好む日本語」、つまり「○○は~だ」になりがちな日本語について書いてきましたが、妙ちくりんな英語になってしまうには他にも原因があります。
その中でも妙な日本語に大いに貢献しているのは、「英和辞書」と「その辞書に書いてあることを適当に使う」メンタルでしょう。
この点に関してはいくらでも例示できますが、今回は ‘let’s’, ‘please’, ‘don’t’ を紹介しましょう。
特に ‘let’s’ は注意が必要です。 ‘let’s’ を使った「日本語英語」表現は至る所で目にします。
例えば、”Let’s English”, “Let’s tennis”, “Let’s programming” といった具合に、日本語の軽動詞「名詞+する」のように使用されます。
少々面倒くさい話ですが、’let’s構文’ は統語論の中でも議論の対象です。「一体全体この ‘let’ とはなんであるのか?」ということです。
日本語に訳せば「~させる」という動詞なので、一見命令文のようにも見えますが、そうでもありません。そもそも「しましょう」というのが一人称に対する命令形なのかという疑問がありますし、二人称が目的語になった場合には「して良いよ」という許可を表したり、三人称の場合には「させます」という使役の意味になったりします。
果たして ‘let’ は助動詞なのか、動詞なのか、連鎖動詞なのか、言語学者たちが束になってかかっても、大変な議論を呼ぶ ‘let’ です。
しかし、日本の英語文法、あるいは英和辞書では ‘let’s’ は単純に「しましょう」と、いわば軽動詞扱いです。もちろん、英語では「’let’s’ +名詞(句)」は非文(統語的に誤り)ですが、感覚的に、つまり日本語の癖で ‘let’s’ は「しましょう」ということで、上に挙げたような文ができてしまうわけです。
これに関しては ‘please’, ‘don’t’ も同じです。
辞書を引くと、’please’ は「どうぞ」、’do not’ は「しないで」とあります。そこで、”please as a souvenir” で「おみやげとしてどうぞ」とか、先に挙げたような軽動詞のように(動)名詞と組み合わせて “Don’t eating.”「食事しないで」などが作文されてしまうのでしょう。
最近は便利になったもので、オンラインでも辞書が引けますが、簡易になれば安易になるのか、うっかりとした誤訳を平気で使う向きもあります。
防災設備の案内で「出口」を ‘exit’ とするのは結構なことですが、「消火器」を ‘digestive organ’ と訳しているものには閉口しましたし、ひらがなで辞書に入力してしまったのか「蕎麦」を ‘near’ と訳しているものなどがありました。おそらく英語どころか日本語すらよく分からない人がインターネットを使うとこのようなことが起きるのでしょう。
英語から直接インプットしましょう。幼児のように
「文法は気にせず、しゃべってみようよ」「間違えていても通じれば良い」のは分かります。それが言語衝突が起きたときの回避手段、互いのことばが分からない者同士のコミュニケーションです。そして、そこからピジンが生まれたりもします。大変結構なことです。
ただ、日本に来る外国人も少しは日本語を勉強しているでしょうから、ひょっとすると、彼らの日本語の方が我々の英語よりマシということもあるかも知れません。しかも、彼らも異文化を楽しみに来ているわけですから、意味の通じないカタコトの英語で話しかけられるよりも、自分たちの日本語の腕試しを好むかも知れません。この辺りは、臨機応変に対応できるのが、おもてなしではないでしょうか。
そして、我々の英語力の向上を目指すならば、何でも良いから話してみるなどという自己満足に陥らずに、もう少し英語という言語に敬意を表して、英語の正確な発音を学ぶなり、英語を身につけるために効果的な「インプット」に勤しんでみるのも良いのかもしれません。
この「インプット」に関しては『子どもの英語「超効率」勉強法』に詳しいので、そちらを参照してください。また、作文に関しても、文の形をマスターするために必要な練習法を記してあるのでそちらをご参照ください。
さて、今回は「日本語英語」に関して書いて参りました。日本語の作文の特徴を知り、その癖を英語に反映しないように少し心がけてみると、英語らしい文を生み出すことができます。
実は、このあとに英語での表現に便利な、必要最低限の英単語を使った英作文の指導を書こうと思っていたのですが、毎度のごとく長くなりすぎたので、今回はこの辺で終わりたいと思います。
繰り返しますが、「アウトプット」ではなく「インプット」です。「インプット」を心がけて、英語を正しく身につけていきましょう。
【編集後記】
今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
★使える英語
★英語学習のキーワードは1000時間?!
★中学校に入る前にやっておきたいこと
【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)
児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。