パルキッズ通信 特集 | 子供の成長, 子育て論, 教育術, 日本の教育, 習い事
2021年3月号特集
Vol.276 | 習い事を科学する
○○だけでは食べられない、バランスの取れた教育とは
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2103/
船津洋『習い事を科学する』(株式会社 児童英語研究所、2021年)
毎年のようにいろいろなところから「習い事ランキング」が発表されています。覗いてみると、スイミングや英会話のような王道から、ピアノにそろばん、あるいは書道のように歴史の長い習い事もあります。
ひと昔前までは、男の子ならサッカーや野球、女の子ならピアノやバレエなどの傾向が見受けられましたが、最近では性差の敷居がなくなりつつあるようで、それは好ましいことですね。また時代の流れか、将来への不安からか、近年はプログラミングや将棋や囲碁なども上位に顔を見せるようになっています。理科を苦手とする子が多いことから、自然科学を習わせることも、もはや定着しているようです。
はてさてどれをやらせるべきやら?
「一意専心」か「虻蜂取らず」か
ひと口に言ってしまえば、「何でもやらせればよろしい」。「一芸に秀でたる者は多芸に通ず」るようですから、何をやらせても構わない、ひとつ道の道理は他所の道理と相通じていて、一意専心、何事かを極めた先に得られた知識は、他の芸にも応用が利くわけです。
とはいっても、すべてのサッカー少年がプロを目指すわけでもなければ、我が子をピア二ストとして食べさせようとしてピアノを習わせる親も少数派でしょう。それはそうです。それぞれの芸は「飯の種」と考えると、なかなか狭き険しき道のりです。
また、一芸を極めればそれは多芸に通ず、といわれても、一芸ばかりに打ち込んで、「○○ばか」に、気づけば「鹿を追う者は山を見ず」的な人生を送っている、などということもなきにしもあらず。もちろん、それはそれで結構なことですが、リスクヘッジを考えればなかなか踏ん切りが付かない親御さんも少なくないはず。
それもそのはず、子どもの「未来の幅を広げよう」として与えている習い事ですから、それでは結果があべこべというものです。
これに関してもう少し具体的に、卑近な例に例えると、こうなります。英語の習い事は盛んですが、それでは「一意専心」英語を極めれば「それで食っていけるのか?」となれば、「NO」と言わざるを得ません。
現に、英語ができる上智大学生が就活面接で「私の英語力を活かして…」などと高らかに宣おうものなら、その段で人事担当は「こりゃだめだ」と百年の恋も冷める勢いで関心を失ってしまいます。
それはそうでしょう。いくら英語ができても、それはネイティブの「英語力」に比べればどう頑張っても「中高生」レベル。アジアからの留学生が「私は日本語が上手だから、私の日本語力を活かして日本の企業で働きたいです」と言うようなものです。企業は、英語力(日本語力)しか強みがないというような人材を望んではいません。英語力の先に何があるのか、そこにコンテンツがなければ、そもそも言語には意味すらないのです。
「一意専心」は大変結構なことですが、英語を例に見てみても、それだけではどうやら何か足りないようです。それを親たちは心のどこかで感じている。そして我が子のために良かれと思って、あれに手を出しこれに手を出す。終いには何が足りないのかを探りあぐねて、放浪の旅に出てしまい、道に迷い、結局すべて中途半端。これはこれで、元も子もない話です。
その道で食べていくなら「二兎を追う者は一兎をも得ず」とか「虻蜂取らず」とか、欲張りは御法度かも知れません。しかし、ある程度以上にその道の道理を理解する域まで到達できれば、十分「その芸には秀でた」ことになるわけです。
これが習い事のあるべき姿でしょう。従って、習い事もひとつに限定せずに、2つ3つ、あるいは4つ5つと取り組ませることに、何ら疑義を挟むものではありません。
つまり、なんでもやらせればよろしい。
全部はできない…
しかし、ここでコストの問題に直面します。そう、全部はできないわけです。時間的な資源、経済的な資源も限られています。言うまでもなく、習い事は時間と資本の投資なのです。
「いや、うちはゼンゼン大丈夫。お金も時間もあるのよ」とおっしゃる恵まれたご家庭でも、実はそうではない。親が気づいていないだけで、実は大切な資源を無駄遣いしていることがあります。
それは、子どもの成長における大切な時間、限られた時間です。それをどこに投資するのか、これは切実なる問題です。つまり、全部はできないので、取捨選択を迫られるのは、程度の差こそあれ、本質的にはどこの家庭でも同じことなのです。
それでは、何を基準に取捨選択すれば良いのでしょう。ひとつには子どもに任せるという手があります。本人の意思であれば、それは押しつけでもなく、あくまでも本人の責任の一端なので、親からすれば、「あなたがそう言うなら仕方がないわねぇ」と始めさせてみて、うまく行かなくても「あなたが嫌なら仕方がないわねぇ」と止めさせることも可能です。
ただ、それではいかにも親としての芸がないと考える親御さんもいらっしゃるでしょう。人の営みは昔から変わらないようで「子のねがひのままに育てぬるを、姑息の愛と云う(中江藤樹『翁問答』1641年/江戸前期)」などの記述もあるくらいです。もちろん、習い事をする本人の意向を参考にするくらいは結構なことですが、有限の資本の投資先を、意思決定の能力や権利すら有さない子どもに一任するのは感心しません。
それはそうです。この、本人に任せることの儚さ、無責任さ、ナンセンスさに関しては、すでに書いているので、ここでは触れないことにしておきましょう。(この件に関しては『パルキッズ通信2016年9月号』参照)
完全放任、ご本人のご意向にお任せ育児の対極に、英語で言うところの「コントロールフリーク」、「仕切り屋」的な育児もあります。
我が家は実はこれ。ただ、上から押しつけても、子どもは本来反抗する生き物。いや、子どもに限らず、ヒトは新しい提案を素直に受け入れがたい生き物なのです。
もちろん、私は専門家ですので、子どものすべき習い事を真っ向から提示してもうまくは行かないのは、十分承知の助。そこで、水を向けたり想像力を刺激したりして、ついには本人の口から「やりたい」と言わせる奥義を小出しにしながら、意を得た方向へと導くわけです。閑話休題。
さて、どの習い事をさせるにしても、その基準が必要です。基準があれば、比較しやすい。比較ができれば全体像も見えてきて、バランスの取れた習い事計画も可能でしょう。そこで、今回はその基準となりそうな概念を少し掘り下げて考えてみることにしましょう。
知育・徳育・体育?
偏りのない教育を表すことばとして、知育・徳育・体育を三育と呼ぶそうです。最初にこの考え方を提唱したのはイギリスの哲学者のハーバート・スペンサーさんという方だとか。彼の著の体育の件に食事に関する記述があり、三育に食育を併せる考え方も世間では行われているようです。
そう言われてみれば「そんなものか」と納得する向きもあると思いますし、現に若かりし私自身も「うまいこと言う人がいるなぁ」と感じ入ったものです。
確かに、頭脳ばかりではどうにもならない。身体的にも優れており健康であることが大切であるのは言うまでもありません。つまり、文武両道。しかし、いくら文武両道、筋骨隆々の知恵者でもそれだけでは人として何かが足りない。
そして、その「何か」が人としての倫理感に象徴される徳であり、生得的か後天的かは別として、その徳を身につけていることがバランスのよい教育の結果としてあるべき姿である、と言われれば頷かざるを得ないでしょう。
その視点で習い事をみてみると、知育には英語やそろばん、習字、学習塾などが、また、体育には水泳やサッカー、武道にバレエなどなどがカテゴリ化されます。最近では子ども向けの料理教室やアウトドア活動の教室などもあるようですが、料理教室は食育に、アウトドアは食育、知育、体育をも包括した体験型習い事とも言えるでしょう。
しかし、徳育にカテゴリーされる習い事はどうにも見つかりません。もちろん、小学校になれば、「道徳」という教科があるようですが、どうやら、徳はお金にもの言わせ外注して身につけさせるものではなく、ご家庭での教育に任されているようです。
ところで、この明治期の三育カテゴリーで、習い事をある程度分類できるのかと思いきや、実はそうではありません。すでに「徳育」がカテゴリーから外れています。では、ピアノは?絵画は?日本舞踊や生け花は?
日本舞踊は、体育に押し込むことも可能かも知れませんが、ピアノ・バイオリンなどの音楽系や絵画や造形の美術などの芸能系は、どこに入れると良いのかしら。と、三育カテゴリーの限界が露呈します。
もっとも、専門家ではないので三育の深い考え方に関しては詳しく知りませんが、1世紀半以上も前、近代期の発案ですし、おそらく当時の公教育、あるいは一般民衆を対象にした考え方なのであれば、確かに、音楽・美術・芸能はあまり考慮されなくても仕方がありません。
しかし、近代が終わって久しく、ただいま現代。当時に比べれば、ずいぶん私たちの暮らしは豊かになったわけです。職種にもよるでしょうけれども、朝から晩まで額に汗して働かなくても、あるいは子どもたちを働かせなくても、三育+αの教育ができるようになっているわけです。ここは、しばし手を合わせて先人達の努力に感謝しつつその恩恵に浴することにしましょう。
そこで、三育あるいは三育+食育の考え方に代えて、今風のあるいは先人達のおかげで進歩した(?!)私たちの世代なりのカテゴリーを考えてみました。その結果、
「知性・健康・洗練味」の3つの分類に行き着きました。以下詳しく見ていくことにします。
知性・健康・洗練味
ち‐せい【知性】: 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力(デジタル大辞泉)
とあります。『パルキッズ通信2021年2月号』に参照すると、情報を知覚し、思考して判断するというヒトの言語使用の定義と似ているようです。
もちろん、言語使用にはコンテンツを「表現」するという技能も含まれます。この「表現」云々の記述は当該辞書の「知性」の定義には載っていませんでしたが、「知性豊かな人」「知性にあふれる話」などの例示を見れば、せっかくの「知性」もそれを正しく「表現」されることがなければ、周囲はそれを「知性」として知覚できないので、「表現」する能力も「知性」の一部と考えて差し支えないでしょう。
このように考えると、「知性」は「言語能力」を包括する概念と言えるでしょう。
しかし、もちろん「知性」は「言語能力」に限定されません。言語以外にも自然科学的な直観も知性に含まれるでしょう。
例えば、「嵩」を知覚する能力も知性です。「嵩」はざっと「質量」とも言い換えられますが、最近実体験を伴わない知識偏重教育が幅をきかせているせいか、この「嵩」の能力が身についていない人があまりにも多いようです。
これは、筆算の練習ばかり、あるいはそれに加えていわゆる「公式」で自然科学を処理しようとするときに起こります。
例えば「信号のない田舎道を平均時速60キロで走行している場合、残旅程17.4キロメートルを消化するのに、あとどれだけ時間がかかるのか?」といった問題を、小学高学年で習った(はずの)「はじき(速さ×時間=距離)」の公式で解くようなものです。この公式に当てはめようとしてみても、公式が単なる丸暗記であって、それが理解された知識へと消化されていなければ、与えられた数字をシャッフルして間違えた答えに行き着くことも少なくないわけです。
これは、単なる丸暗記であって知識ではないことは、すでに『パルキッズ通信2021年2月号』で述べたところです。他方、直観的に「そんなの17分24秒じゃん」と答えに行き着くことができるのが「嵩」の知覚能力です。
また、「嵩」の感覚と同時に、立方体の見えない部分を予測するような「空間認識」の感覚も「言語能力」や「嵩」の認知力と併せて知性におけるひとつの重要な側面でしょう。
さらに、とある現象からとある現象への中間作用を埋める知識であるところの「論理性」も知性の重要な働きです。
日本には「空気」という確固たる存在があり、人々はそれに判断を影響されて生きています。いくら論理的に正しい結論にたどり着いていても、最終的には場の雰囲気、つまり空気で結論が変わってしまうこともままあるようです(山本七平『「空気」の研究』文春文庫)。
その空気を重んずるか否か、空気に喧嘩を売るか否かは別の問題として、最大限にバイアスを排除した平明かつ正しい結論を導き出す論理性は、繰り返しますが、知性の重要な機能のひとつです。
このように知性の教育とは、主に言語を通して知識に参照しつつ身の回りの世界を理解し、思考し、結論にいたり、それを表現するに至るまでの精神的な働きのことです。そして、その知性を伸ばすことが、教育のひとつのゴールであるわけです。
「知性」に関わるキーワード : 言語能力、論理性、嵩・空間認識
健康
けん‐こう〔‐カウ〕【健康】: 3 精神の働きやものの考え方が正常なこと。また、そのさま。健全。「―な考え方」(デジタル大辞泉)
「健康」というと主に身体の状態が思い浮かべられますが、精神の状態も含める概念のようです。ちなみにWHOの定義ではこれに「社会的云々」なる項目が見られますが、私には難しすぎて理解できなかったので、ここでは考慮に入れないことにします。
さて、健康とは「身体」並びに「精神」が健全であることのようですので、これらを順に見ていくことにしましょう。
まず、身体を健全な状態に保つというのは、現代の社会では教育において行われるべき重要な項目であることは間違いありません。
日常生活の規律を身につける、例えば、歯を磨いたり身体を清潔に保ったりすることによって健康を促進することは不可欠です。また、過食や偏食を避けて健康な身体作りのために、それに適した食生活を習慣づける食育も健康に関わる教育の重要なポイントです。
食育に関しては真弓定夫先生の「自然流」シリーズを参照いただけると良いでしょう。少し古い本ですが、我が家の育児、特に食育に関してはずいぶんと参考にさせていただいた書籍シリーズです。「身土不二」とか「一物全体」とか、今でも通じる知恵が詰まっています。
さて、必要程度に清潔にそして正しい食生活に気をつけるのに加えて、身体を実際に動かして鍛錬するスポーツも身体の健康に関わる教育でしょう。
と、ここまでが、身体の健康に関する教育ですが、同時に精神の健康もしっかりと育まなくてはいけません。これはスペンサーの分類に参照すれば「徳育」ということになるのでしょう。
とく‐いく【徳育】: 道徳心のある、情操豊かな人間性を養うための教育。知育や体育に対する。(デジタル大辞泉)
健康の教育に含まれる、「精神の健康」の一端を担うのがこの「徳育」です。この点に関しては既述のように学校の道徳の授業以外では、家庭に委ねられる面が大きいようです。
しかし、徳育に限らず精神的な健康全般に視野を広げると、人との調和を図る精神状態も精神の健康として測定可能でしょう。そうであれば、例えば自分のことを自分でする、いわゆる「自律精神」も精神の健康でしょうし、家庭内での作業を自然と分担し家族を助けるような「互助の精神」も精神の健康を示す指標でしょう。簡単に言えば、お手伝いですね。
また、精神の健康にいわゆる「リジリエンス」という考え方も含めると良いかも知れません。確かに、最近は「すぐにくじけて諦める」、その延長に「最初からチャレンジしない」子たちもよく見かけます。こういった子どもの傾向として「やらない理由を羅列し」て、「やるべきことから逃げる」ようです。心理学の分野の話で、私はこの点に関しては詳しくないので、『世界標準の自己肯定感の育て方』(船津徹著 KADOKAWA)などを参考にされると良いでしょう。
このように健康に関わる教育には、身体の健康を保つためのスポーツ、衛生を保つ心がけ、身体を壊さず健康を促進する食育などが含まれ、精神の健康を育むことで、自律した生活、お手伝いや助け合いなど他との協調、あるいは道徳と呼ばれる倫理観の教育などが含まれることになるようです。
「健康」に関わるキーワード :
身体の健康(衛生、食生活、スポーツ)、精神の健康(倫理教育、自律精神、互助の精神)
洗練味
冒頭の「知性」の対義語に「感性」という概念があります。知性の教育からはみ出るのは言語以外の受容性です。つまり「感性」。
かん‐せい【感性】: 1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」(デジタル大辞泉)
感性とは印象を受け入れる能力であり、音楽や美術、造詣などから美醜を受け止め、それらを判断できる能力と、ざっと考えて良いと思います。
「感性」は「洗練味」という部類に振り分けられることができるでしょう。洗練味とは審美眼を持っていることなどが含まれますが、俗に言えば「垢抜け」ていることです。もちろん、美術や音楽などにも通じることは当然ですが、グルメなどと言われるように、食に対する審美眼も「洗練味」に含まれると考えて良いでしょう。
音感教育や楽器演奏、絵画教室に華道など、美術や芸術に関わることは、知性や健康の教育とは別にこの「洗練味」に分類されます。
書道や硬筆は正書法の部類なので、知性の教育の中の言語教育に分類されますが、同時に美しく文字を書くことも極めれば芸術ですので、これを「洗練味」の教育に含めることは異論はないでしょう。
「洗練味」に関わるキーワード : 審美眼、技術(音感、美術、芸術、書道など)
人格を決めるその他の要素。性格や気質
十人十色、人それぞれです。例えば、上記教育を同じように施された兄弟姉妹や他人でも、同じような人間に育つわけではありません。
人間の志向には「ヒト志向」や「モノ志向」という分類があるようで、男子はモノ思考に偏りがちで、女子は「ヒト志向」が多いとか。
確かに、私なんぞもヒトに寄り添うというよりは、モノに関心が向きがちです。金槌や釘、テレビやスマホにはそれぞれ個性などなく、同じ製品なら機能は一緒、機能に関しては差がないので理解しやすいわけです。他方、ヒト志向は女性に多く見られるようで、モノよりもヒトに関心を持つようです。
例えば、モノ思考の人は、人が何を身に付けているか、どんな服を着ているかに関心が向くのに対して、ヒト志向の人は、その人の振る舞いや表情などに注目するそうです。
これは、バイナリーの選択ではなく、もちろんモノ志向とヒト志向の両方を備えている人もいますし、年齢と共に変化します。
さらに、別の軸では、直観的に物事を見る人もいれば、論理的に物事を見ることを習いとする人もいます。
このように、人の行動を決める性格や気質は「教育」とは別の次元の事柄です。つまり、十人十色の性格や気質がある上に、上記の「知性・健康・洗練味」の「教育」が乗っかって、トータルな「人格」が形成されると考えると、1人の人間の有り様がクッキリと見えてくるのではないでしょうか。
しかし、ここでは性格や気質に関しては、私の手には余るので触れないことにしておきます。ここからは「知性・健康・洗練味」の「教育」という面から「習い事」をカテゴリー化してみましょう。それによって、バランスの良い教育、バランスの良い投資の参考になれば幸いです。
まずは「知性」
まずは「知性」に関わる習い事から見て参りましょう。知性に関わる習い事は「言語」「嵩・空間(面)認識」「論理性」などの育成に分類できます。もっとあるかも知れませんが、ここでは以上の3点に限ってみます。
「言語教育」に関しては、「英語」関連や学習塾や通信教育における国語などもそれに含まれるでしょう。また、読書サークルは知識を増やす面において、ドラマ・演劇は表現力を磨く点において言語教育の一環と言えるでしょう。
「嵩・空間認識」に関しては、料理教室や折り紙教室、あるいはドッツカードの取り組みやそろばん教室などもこれにあたります。さらに、囲碁もここに含まれる性格もありそうです。
もちろん、塾や通信教育の理科・算数もこれに含まれますが、すでに述べたように、実体験と結びつく理解無しの記憶に留まっているようでは、受験技術に過ぎず、本稿で述べているところの「子どもの将来を豊かにするための教育」カテゴリーには入らないと思われます。
「論理性」に関しては、将棋や前出の囲碁、さらにはプログラミング教育などがここに含まれそうです。論理の積み重ねという点においてこれらの習い事は共通しており、プログラムなどは特に論理から逸脱すると途端に不都合が起こるので、丁寧にロジックを重ねていくトレーニングにはなりそうです。
しかし、あくまでも、それは結果としてその技術の中における論理性を身につけられるのであって、ダイレクトに論理性を身につけるのであれば、作文が一番でしょう。思考の整理という点でも作文は強力な取り組みになり得ます。
ざっと整理すると、上記のようになりますが、例えば英語学習によって「言語能力」を高めるのと同時に英検のライティング対策を行えば、そのまま「論理思考」のトレーニングになります。つまり、英検対策を含む英語教育と日本語での読書を行っていれば、あとは「嵩・空間認識」のトレーニングを加えると、知性に関しては満遍なくトレーニングが行われている事になるのです。
続いて「健康」
「健康」の教育には「身体の健康」と「精神の健康」に関わるものがありました。それぞれ見ていくと以下のようになります。
「身体の健康」のスポーツに関しては、習い事の王道であるスイミングを始めとして、サッカー、野球、テニス、ラグビー、体操教室、アイススケートなどなど、枚挙にいとまがありません。繰り返しになりますが、まずは「何でも良いからやれば良い」と思います。
その他にも、日常的なお散歩も健康増進に役立ちますし、公園で三輪車やストライダー、あるいは、自転車やローラースケートなどは、特に習い事としないまでも、安全に身体を動かすことができれば積極的に取り組ませたいものです。
「身体の健康」の他の分野である「食事」に関しては、料理教室もあるようです。もちろん、外注するのも結構ですが、料理などは家庭でも日々行われることなので、2歳を過ぎれば少しずつ台所に立たせ、安全を確保しつつ、彼らの小さい手でもできるお手伝いからさせていくと良いでしょう。小学生になって、味噌汁やおかずの一品でも作れるようになっていれば、それは立派な食育でしょう。
ちなみに、この食育は前項の「嵩」のトレーニングにも繋がります。具材の量、調味料の量、調理にかかる時間など食育の現場は物理的「嵩」のオンパレードです。コストもかからないので、是非親子で取り組みたいものです。
もちろん、バランスの良い食生活の習慣づけとなると、これは親がコントロールする以外ありません。また身体の衛生を保つための生活習慣作りも、親がコントロールしてやる以外ありません。これらは外注できない教育でしょう。
また、衛生面の教育も親がする以外なさそうです。
「精神の健康」に関しては、「倫理観」を始めとした社会性や「互助の精神」の涵養、そして「自律の精神」を育むことを目指すことになります。
順不同で参りますが、例えば、集団競技は自分と相手のことばかりでなく、仲間のことも考えなくては成立しないので協力して力を合わせる「互助の精神」を育むのには役立ちそうです。私などもラグビー部に所属していましたが「All for one, one for all.」などはその最たる考え方でしょう。
利己的に走りすぎてはうまく行かない経験を通して、「知性」における「言語使用」の際にバイアスのかからない、独りよがりにならない考え方を促すトレーニングにもなると期待できそうです。
「倫理観」という概念がヒト生来のものなのか、後天的に学習されるものなのかは分かりませんが、いずれにしても、社会性の生物としての人として生きる上で必ず必要となる要素です。
これに関しては、あまり習い事が見当たらないのですが、ひとつピンときたのがボーイスカウト/ガールスカウトです。その理念の上では、世のため人のために身を捧げるわけですから、これは究極の道徳教育でしょう。
さらに、ボーイスカウトの活動を通して「自律の精神」も育ちますし、「身体の健康」における食育、自然教育さながら「知性」の教育における「嵩・空間認識」の感覚すら育めます。
かくいう私もスカウトです。スカウト同士は大人になって出会っても話が合うので、楽しいには楽しいですし、ある程度以上に、いや、相当に「自分のことは自分でする」ようになるので、親としては楽です。
ただ…、カブスカウト(小学3〜5年生)から始めるのが一般的で、そうなると親がイベントの手伝いに出かけることになるので、それが少々大変かも知れませんが…。
さて、それは良しとして、集団スポーツや料理をすることで、食育も含めた「身体の健康」はもちろんのこと「互助精神」を養い「精神の健康」に貢献するようです。さらに家庭で行われるべきものとして「倫理観」や「自立の精神」の涵養があり、ひょっとすると多少面倒ですが、ボーイスカウトに参加させることで、それら教育の半外注も可能と言うことになりそうです。
最後に「洗練味」
「洗練味」の教育とは、言い換えれば子どもを「垢抜け」させることでしょう。実践や鑑賞を通して音楽や美術、芸術などに対する審美眼やその技術を磨くことです。
審美眼と技術面の教育は、相互関係にあることが少なくありません。
「音楽教育」ではピアノやバイオリン、エレクトーン、ドラムなどなど技術の教育は、それこそ何でも良いと思います。また家庭でテレビを付ける代わりに、いわゆる名曲を流していれば、それは審美眼教育になるでしょう。
また、美術や芸術などは絵画教室に通わせるも良し、華道や書道を習わせるのも良いでしょう。そのように技術に触れさせることによって、技術のみでなく審美眼も磨くことになります。休みごとに美術館や博物館巡りをすることも審美眼を育むことになるでしょう。
これも、パルキッズ通信で述べたところですが、「知らないもの」は「知覚できない」わけです。美術や芸術、音楽を実際に見聞きさせ、そして触れさせることで、それは子どもにとって「知るもの」となり、「知覚できる」対象となるわけです。
国内外の芸術に感心を寄せ、ある程度以上の知識を持たせることは、これすなわち「洗練味」の教育です。
最後の最後は親のエゴ
以上、「知性」「健康」「洗練味」の3項目について、各種ある習い事を眺めて参りました。どうやら、『超効率』を読んで英語育児を実践し、料理をさせて、集団競技(もちろん個人技でも互助の精神は別に育めば良い)をさせ、『世界標準の子育て』を参考に自己肯定感を育み、ボーイ/ガールスカウトにでも放り込んで、何か楽器演奏を学ばせて、週末に美術館通いでもすれば、ひと通りバランスの良い教育が実践できることになりそうです。(船津洋『子どもの英語「超効率」学習法』かんき出版、船津徹『世界標準の自己肯定感の育て方』KADOKAWA)
しかし、その他にもやりたいこと、やらせたいことはたくさんあるはずです。
ちなみに、我が家ではウィンタースポーツやバーベキュー、釣りやドライブなどを季節ごとに子どもたちと楽しんでいます。
親が子どもと一緒に過ごせる時間は限られています。上記のように様々な習い事を多面的に分類してみて、論理的に習い事を選択していくのは、ひとつの姿勢として大切だと思います。
しかし、最後の最後に登場するのは親のエゴです。
なぜ、バイオリンでなくピアノなのか?と問われれば、親がピアノを弾くからとか、逆に、親がピアノを弾くのであれば、バイオリンを習わせて一緒に演奏するから、という理由での選択も可能なわけです。
ウィンタースポーツや趣味の釣りなども、子どもにその能力を身につけさせてやれば、その名目は「身体の健康」かも知れませんが、実質は子どもたちが大きくなっても「親も一緒に楽しめる」という邪な気持ちもあって許されるべきだと信じます。
さて、「何でもやらせれば良い」のですが、限られた「資源」を有効に「投資」するという視点から、いろいろ分解して書いてみました。言語能力、嵩・空間認識、論理思考の「知性」の教育、身体並びに精神の「健康」を育む教育、そして音楽・美術などの芸術に対する審美眼を磨く「洗練味」の教育、以上の3つを参考にしながら、バランスの取れた習い事に効率よく取り組んでいただく一助となれば、今回の思考実験の甲斐もあったということになります。
【編集後記】
今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
★ことばを伸ばす親の話し方
★「普通」を勘違いしている子どもたち、させている大人たち
★英語やっててよかった!
★パルキッズのための英検・作文必勝法!
【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)
児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。