2023年9月号特集
Vol.306 | 思考力を高める多言語学習
「たくさん喋れる」だけではない多言語教育のメリット
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2309/
船津洋『思考力を高める多言語学習』(株式会社 児童英語研究所、2023年)
▶︎今月号の解説は公式ポッドキャスト『英語子育て大百科「第124回 一にイスパ、二にフラ語、三、四はなくて五にチャイ語」』で
①モノリンガルとバイリンガル
モノリンガルであること自体が不利であることに気づかない日本人
大半の日本人はモノリンガルです。同時に「英語」にたいそうな憧れを持っている。それが証拠に、出るわ出るわ、雨後の筍のように英語学習メソドが生み出され、世間に送り出されていきます。
別段これは、近年に限ったことではありません。高度成長期から同じことの繰り返しで、学校教育もいわゆる「昭和の英語大論争」以降、50年間を経て、渡辺の保守路線から平泉の実用路線へ、つまり文法訳読から使える英語へとシフトしつつありますが、大した結果は出ていません。逆に渡辺の「英語は知的格闘力を育てるための教科云々」という論理の方が正しかったのではないか、と首を傾げさせるを得ないのが英語教育の現状です。
これに関しては、過去の『パルキッズ通信』にも繰り返しているので詳細は省きますが、中学生の英語の点数の上昇傾向を見て、文科省が「ほら中学生の英語力が上がっているでしょう」と仰っても、「それは頼りない文科省の英語教育に痺れを切らし、自ら学外で子どもたちに英語に触れされる機会を与える親が増えているからに他ならないでしょ」としか感じられない。何しろ都会では小学生の10人に1人が英検3級レベルの実力を持っているわけですから、そんな子たちが低迷する英語の学力全体を引き上げているのも推して知るべしでしょう。
他方、「いやいや、日本では英語を使う機会なんかそうそうない。翻訳機械も進化しているから日常の英語には事欠かない」という声も聞こえてきます。まぁ、確かに、英語を必要とする職業につく日本人、あるいは英語を必要とする環境に身を置く日本人は少ないでしょう。なので、それ以外の方は「英語なんてできなくても大丈夫」。これは受け合います。
ただし、英語なんかできなくてもいいやと判断した結果、英語ができないことで、やりたい研究ができなかったり、就ける職に就けなかったり、得られる報酬を得られなかったり…と、職業や生活の質の向上に自ら制限を設ける可能性が「大」であることは付け加えておきましょう。
例えば、僕の場合にはアメリカの留学も1人で手続きしました。中間業者に頼む必要はありません。また、社会人になってからも、教材・教具の取り扱いも輸入業者など通さず、ダイレクトに出版社や製造元に掛け合います。従って、本来不要な中間マージンを取られることもありません。
僕はこれ以外の世界を知りません。つまり、自分で連絡して直接取引する以外の世界の常識を知りません。ところが、世の中そうではないようです。業界によっては、半導体が手に入らないと大騒ぎしていますが、それは商社や代理店を通しているからであって、実は直接連絡したら、あっという間に解決。しかも、蓋を開けてみれば、ずいぶんと値段もお安い。…なんてこともあるそうなので、呆れてしまいます。
それはそうでしょう。中抜き文化の日本にあっては “怪しからん” ことかも知れませんが、売る方も直接相手の顔が見えた方が、気持ち良く取引できるのは、洋の東西を問わず人の世の常でしょう。インターネットの時代、直接つながってしまうのが一番手っ取り早いのです。ただ、言葉の壁が邪魔をして、直接繋がれない。でもそれを解決しようとしない。それが今の日本の姿でしょう。
言葉ができないということは、それだけで大変な損失です。日本人が英語ができないこと自体が、今日の物価上昇の一因かもしれません。もはや、「英語なんか」などと言ってはいられない状態に今日の日本はあるのです。
さらに言えば、英語などできて当たり前、英語の他に何語ができるのか?が問われる時代になっているのです。
モノリンガルであることのデメリットをいくつか挙げておきましょう
経済的、社会的、および言語学的な観点から、それぞれの理由を示すことにします。
まずは、経済的見地から。モノリンガルな個人は、国際的なビジネスや仕事の機会を自ら制限することになります。多くの企業は、国際的な市場でのビジネスを展開しています。
そこでは、現場において優位で力のある言語を理解し、コミュニケーションを取るスキルが求められます。それでは英語ができれば良いかといえばそうではありません。英語はできて当たり前。英語だけでは勝負にならない。英語に加えて英語以外の言語を話せないと、国際的な取引やプロジェクトに参加できないのは仕方がないでしょう。
社会的見地からは、モノリンガルな人々は、異なる文化や言語のコミュニティとの交流が難しいことは言うまでもありません。外国人と触れ合う機会があっても、それを活かすことができず、結果的には外国人と接する機会すら得られないような状態に自らを追い込むのです。
多言語の環境では、他の言語を話す人々との交流によって、異なる視点や文化を理解する機会が増えます。一方、モノリンガルな人々は自分の文化圏内に閉じがちで、多様性を受け入れる能力を身につける機会が失われます。やれ「多様性だ」「LGBTQだ」「男女平等だ」と叫んではみたものの、本質はわかっていない方も少なくないでしょうね、立法府の皆様。
言語学的には、複数の言語を学ぶことで認知的なメリットがあります。多言語を話す人々は、言語を身につける段階、あるいはその言語を使用するうちに、知らず知らずの間に、異なる言語構造や表現方法を理解する能力が養われます。さらに、言語の違いによって異なるコミュニケーションスタイルや思考方法を学ぶことができます。モノリンガルな人々は、これらの言語学的な恩恵が享受できないことは言うまでもありません。
モノリンガルであることのデメリットは、経済的・社会的・言語学的な各面に及びます。しかし、それだけではありません。認知的にもデメリットがあるのです。これも『パルキッズ通信』(2022年5月号)に書いているので詳細は避けますが、バイリンガルの方がモノリンガルより、言葉の理解力が高いのです。
より具体的に言えば、耳から入った言語の心内表象化が、バイリンガルの方がモノリンガルより、より深いレベルで行われるのです。言い換えれば、バイリンガルは言葉の能力が高い。そして、これもくり返し本誌で書いていますが、言葉の能力が高い人は言語能力だけでなく他の能力も高い傾向にあります。つまり、同等の国語(母語)力が担保されている2人が存在すれば、モノリンガルよりバイリンガルの方が言語能力のみならず、他の認知能力も高いのです。
認知能力が高まる。つまり頭が良くなる
人にはワーキングメモリの大小があります。ワーキングメモリとは、言語情報を一時的に操作する領域です。ワーキングメモリが大きいか小さいかは頭の良さに直結します。
例えば、グループワークなどがあったとします。ワーキングメモリの大きい人は、与えられた課題を自分なりに多面的に処理して意見を発します。その際に「この人は理解しているかな?」など参加者の表情を見ながら、ある時は、より噛み砕いて、またある時は、より深い議論を展開することが可能です。
ところが、ワーキングメモリが小さいと、他の人の話を理解することで手一杯です。ひょっとすると理解すらできないかも知れません。そんな人たちは理解することを諦めて、記憶することに専念するようになります。つまり、議論の展開とそこ生じる問題点は理解できないままです。従って、そんな人たちはいざ自分の発表の順番が来ても、他の人の話を繰り返したり、問題の設定を繰り返したりと、お茶を濁すばかりに終始します。
ワーキングメモリの能力が低いと、複数のことが同時に行えません。通常、人は複数の作業を同時に行います。大学のゼミで、あるいは職場で、講師や他の仲間の話を聞きながら、あれ?と疑問に感じることは少なく無いでしょう。あるいは、誰かの言い間違いに気づくこともあるでしょう。しかし、ワーキングメモリに余裕があれば、内容的に大した問題でない限り、話に水を差すようなことはせずに聞き流したりもします。
このような判断も、すべてはワーキングメモリ内で行われます。何が重要であり何がそうでないのかのハイアルキーを即座に判断できるのです。同時に、自分の意見も整理しつつ、適当なタイミングで意見を言ったり反論できたりもします。
ところが、ワーキングメモリが小さいと、次々と流れていく議論の中で言いたいことがあっても、タイミングを測りきれず、結局発言の機会を得られないまま話が次の話題に移ってしまうこともあります。
日本人は議論が下手だと言われます。これには、ハイコンテキスト文化であまり喋らなくても分かり合えてしまうことや、論理的思考を学ぶ機会が少ないこと、学校で批判的思考を教えないこと、あるいは恥ずかしがり屋であるなど様々な理由が挙げられています。しかし、「日本人がモノリンガルであること」も、「議論が下手であること」の大いなる理由として挙げられるべきでしょう。
確かにひとつの作業をさせたり、同じことの繰り返しをしたりする分には、ワーキングメモリの大小はあまり関係ありません。機械的な作業なら、事務的な作業を含めそれほどのワーキングメモリは要求されません。つまり、普通に事務員としての作業をしている分には、隣の人とのワーキングメモリの優劣は表面化しないのです。しかし、大きなワーキングメモリが必要となる議論や駆け引きなどの場では、元となる知識、相手の表情、置かれている立場、結果への見通しなど、さまざまな情報を一度に処理できる能力が要求されます。ここで、ワーキングメモリの差が顕になるのです。
ここからもう少し、ワーキングメモリと言語の関係について考えていくことにしましょう。
3ヶ国語・4ヶ国語でさらに大きなワーキングメモリを
まず、大前提として人間は言語を持ってしまった、そして言語を通して様々な思考を巡らせるわけですが、ここでワーキングメモリが大きな役割を果たします。
幼児が、日本語や英語に加えて他の外国語を学習することは、認知言語学の観点から有益です。特に、ワーキングメモリの機能向上との関連を考えると、以下のようなポイントが挙げられます。
複数の言語を学ぶとき、脳は異なる言語構造や文法を処理する必要があります。例えば、日本語で考えながら英語で話すこと、フランス語を読みながら英語で考えることなどが可能となります。多言語の学習により、ワーキングメモリに負荷をかけることになり、それによってワーキングメモリの能力が向上します。その結果、認知力が高まることが期待できます。
ちなみに、ワーキングメモリは二十歳くらいまで成長し続けると言われています。お子様が小学生を過ぎてしまっても、諦めることなく「7-day English」や「The Book of Books」に挑戦させ続けてください。
また、複数の言語を同時に学習するためには、情報の入力に高い注意力が必要です。つまり違いに「気づく」ことが求められます。言語間の違いや類似点を注意深く捉えるこのプロセスも、ワーキングメモリの活性化を促します。したがって、長期的にみると、多言語を学ぶことにより、ワーキングメモリの能力が向上し、思考力と理解力、さらには注意力と集中力の向上が期待できるのです。
多言語教育は言語の教育であり、ひとつの言語の教育より複数の言語の教育の方が、効率よく「頭の良い子」を育てることになります。
②バイリンガルよりトリリンガル
バイリンガルよりもトリリンガルであることの経済的メリット
多言語で頭の良い子を育てるところまで話が膨らみましたが、少し話を戻して、バイリンガルとトリリンガルの話をしまょう。
日本はこの点、出遅れているというか、スタート地点でぐずぐずしている感じですね。デジタル化と同じです。外国語教育に(本当に)精通している人が専門家として採用されない教育現場、デジタルの専門家を蔑ろにしてきた現状を見れば、「日本は変わりたくないんだな」としか考えられません。
まぁ、お上はそれで結構でしょう。問題は「我が子」です。今や世界で活躍しつつ豊かに暮らすためには、バイリンガルはもはや当たり前で、トリリンガルかそれ以上でようやく、バイリンガルであることのメリットが得られます。お子さんの言語教育、いかがされますか?「パルキッズ」で英語力、「地頭力講座」で国語力、あとは…?
もとい、トリリンガルたちは、国境や地域の境界を超えて、地球規模の市場で競争力を持つことができます。上では英語で直接取引する例を挙げましたが、それでは英語以外の商圏あるいは製造元との取引の場合には、どうなるのでしょうか。
私自身、中国での取引を経験しましたが、まずは言葉の壁、そして文化の壁があります。これらの壁は、なかなか乗り越えることができません。ミーティングでは通訳がつきますが、通訳も万能ではありません。こちらの意図の正しい伝わり方の限界は、通訳の方の能力の限界に等しいのです。もちろん、中国の人と英語で話すこともあります。それでも、お互いにとって外国語、なかなかに “こころ” は通じにくいのです。
「ああ、中国語をやっておけばよかった」と思っても時既に遅し。ビジネスチャンスが有効なうちに中国語をマスターするには、時間も余力もない。結局、中国とのビジネスは大きくなることなく尻すぼみになって行くわけです。逆に中国語ができさえすれば、ビジネスチャンスは限りなく広がったことでしょう。
これは、中国に限ったことではありません。世界には英語の他にロマンス語派生のスペイン語、フランス語などを話す地域が少なくありません。もちろんゲルマン系のドイツ語、オランダ語などもあります。植民地時代の面影として、アジアや南半球にはこれらの言語の影響を受け、未だにそれらの支配者言語に支配されている国々が数多くあります。
つまり、例えばフランス語、スペイン語、あるいはドイツ語やロシア語などができれば、異なる言語を話す人々とのコミュニケーションがスムーズになり、国際的なビジネスや取引の際に有利な立場を築くことができます。
もちろん、最初から一匹狼で世界を股にかけて勝負するのも大ありです。しかし、なかなかそうはいきません。一匹狼とは言わないが、という方には、グローバル企業への就職も十分にあり得ます。そんな場合のジョブハンティングに大いにメリットとなるのが、トリリンガルであることです。
今時、グローバル企業に就職しようと思ったら、英語は当たり前、その他に何語ができるのか問われます。(ちなみに、グローバル企業と言っても日本の企業のことを言っているわけではありません。多国籍の外資系企業のことです。)グローバル企業の規模のランキングを見ると、アメリカと中国(後述します)が上位にありますが、トップ30くらいまではトヨタやホンダを除けば、ほぼアメリカとヨーロッパの企業です。それらグローバル企業は、業種に関わらず、多言語のスタッフを求めることが少なくありません。
つまり、英語プラス欧州語のトリリンガルであることで、多国籍企業での職に就く機会が増えるのです。これにより、異なる文化やビジネス環境に対応する柔軟性を持つことができます。
身につけている言語が多いほど新しい言語を身につけやすい
一般的に、身につけている言語が多いほど、新しい言語を身につけやすくなります。いろいろな人がいろいろなことを言いますが、押し並べてひとつ目の外国語よりは2つ目、2つ目の外国語よりは3つ目の外国語の方が身につけやすいということは共通認識のようです。もちろん、これには母語や第一外国語との類似性(僕は日英どちらにも似ないラテン語に大いに悩まされました)が大きく関係します。この点に関しては、後に触れることにします。
それでは、なぜ第二外国語・第三外国語の方が初めての外国語より身につけやすいのか、その点を見ていくことにします。
まず、第一外国語の習得が極めて困難なことは、日本人にとっての英語の習得が困難を極めることから常識的に判断できるでしょう。
ちなみに、フランス語とスペイン語のように同じ語族の場合には、習得は比較的容易とされますが、日本語と英語は語の派生の共通点もなければ、音声学的にもずいぶんと異なります。さらに、音韻論的にも共通点が少なく、文法においても、互いの常識が通用しないことも多々あります。日本語と英語の共通点は「ヒトが話している点」と言いたくなるくらい遠い関係にあるので、習得が困難を極めるのは、もはや仕方がありません。それでも、留学生なら1年もすれば身につけてしまうので、言語を習得するということは、ヒトである我々にとって遺伝子に組み込まれた性のようなものなのでしょう。まぁ、ほとんどの日本人はそれを実感する「閾値」(『パルキッズ通信2023年6月号』参照)に達していないのですが…。
それでは、第二外国語や第三外国語の方が、なぜ第一外国語に比べて習得が楽なのでしょうか。その辺りを認知言語学の視点から見ていくことにしましょう。
まず、言語学習の技術や戦略に関して見てみましよう。ひとつの外国語を習得する過程では、母語と関連づけて外国語を学んでいきます。そしてもちろん、この言語習得の戦略は第二外国語にも応用できます。それどころか、第一外国語の場合には、比較する対象が母語ひとつに限定される一方、第二外国語の場合には、母語に加えて習得した(あるいは学習中の)言語の2つが比較対象として存在します。学習する外国語の数が増えるにつれて、言語間の類似性に気づくことが多くなり、学習は楽になります。
次に、脳の柔軟性に関して。ひとつ以上の外国語を習得することで、脳は新しい言語の構造や音や音韻体系、あるいは統語システムの違いを学ぶことを強制され、その作業に慣らされることになります。
その結果として、複数言語を学ぶケースでは、新しい言語を学ぶ際に「慣れ」を応用しての適応が速くなります。例えば、英語の場合には「日本語とずいぶん母音が違うな」と感じる一方、イスパニア語(スペイン語)を学べば「あ、この言語は日本語と母音が一緒だ」あるいは「音韻構造が似ている」と感じることができるのです。
以上のように、すでに知っている母語や外国語の知識を活用することができるため、身につけている言語の数が多ければ多いほど、次の言語の習得が楽になることは容易に説明できるでしょう。
③何語を学ぶべきか。それが問題だ…
何語を第二外国語に選ぶべきか…
さて、ここで問題です。英語はもうやっているので良いとして、次に何語を学ぶべきか。参考になると思うので、2021年時点での世界における各言語話者の “推定” 順位を示します。
1. 英語(English):約13億話者
2. 中国語(Mandarin Chinese):約10億話者
3. ヒンディー語(Hindi):約6億話者
4. スペイン語(Spanish):約5億7千万話者
5. フランス語(French):約2億7千万話者
6. アラビア語(Arabic):約2億7千万話者
7. ベンガル語(Bengali):約2億3千万話者
8. ロシア語(Russian):約2億話者
9. ポルトガル語(Portuguese):約2億話者
10. ウルドゥー語(Urdu):約1億7千万話者
これは推定話者数(公用語として英語を使用する話者数)の順位であって、その語を母語とする話者数ではありません。例えば、英語を第一言語(母語)とする話者の数は3億7千万人程度で、中国語話者数より少ないですが、日常的に英語を使える人数という意味での話者数では、上記のように中国語話者数より多くなります。また、母語話者数では世界トップの中国語ですが、中国語を使いこなす非中国語母語話者数は、英語を話す非英語母語話者ほど多くありません。
さて、日本人なら誰もが学んでいる英語ですが、これはもはやリンガ・フランカです。以降、分かりやすくするため、世界を40人の1クラスとして換算して見ていきます。
まず、日本語母語話者数が1億2000万人ですから、世界を40人の1クラスとすると、クラスには日本語を話す人が1人もいないことになります。地球が2つあってようやく、どちらかのクラスに日本人が1人いることになります。日本にいれば気付きませんが、世界へ踏み出すことを思うと、何とも心細いですね。
つまり、日本語しか話せない人は、そのクラスにはおそらく日本語を話す友人はゼロで、隣のクラスに行ってようやく1人いるかいないかの日本語話者の友人を見つけられることになります。地球の住民に限定すれば、日本語話者は、ほぼ存在しないほどの少数派なんですね。冒頭の「モノリンガルのデメリット云々」が、しみじみと感じられませんか。
さて、そんな日本人も英語を知っていれば、16%の人、つまり40人中6人と話が通じることになります。したがって、英語が第一外国語であることは、国の方針としても個人の方針としても正しい選択となります。
皆さん学生の頃を思い出してください。同じクラスになった子のうち何人と、1年間、毎日話をしましたか?40人中6人以内ですか?それ以上ですか?6人いれば少ない方ではないでしょう。と考えれば、少なくとも英語ができれば、楽しい学生生活、もとい世界人生活を送れることになります。
問題なのは、第二外国語です。6人の友人で満足すれば、それでもよろしい。でも、学級委員の選挙には負けます。仲間は多いに越したことはないですからね。さて、話者数順位だけ見ると、中国語を話せると仲間が増えそうです。マンダリン話者は10億人程度いるわけですから、地球が40人の人クラスだとすると、英語に加えて5人と話ができることになります。
さて、ここで先のグローバル企業の話です。やはりグローバル企業といえば中国と米国を母国とする企業が圧倒的ですが、問題は海外資産です。中国は国内でのマーケット規模が大きいので、単純にグローバル企業と言い切れない点もあります。そこで、海外資産や海外での売上をもとにすると、やはりアメリカや欧州の企業が目立ちます。
そこで、欧州の言語話者数に目を向けると、世界にはスペイン語話者がクラス換算で3名ほど、加えてフランス語話者も1人いることになります。ついでにポルトガル語とロシア語話者もそれぞれ1人ずついます。
こう見ると、ロマンス語系が強いことが分かります。ロマンス語系のフランス語とスペイン語、ポルトガル語で5人なので、英語と合わせれば11人と話ができることになります。いかがでしょう。40人のクラスに「話せる仲間」が11人いれば、これはある意味 “薔薇色の学生生活” ではないでしょうか。それに、中国語の5人を加えれば、なんと16名。クラスの4割とお友だち(?)とまでは行かなくとも、少なくとも「話が通じる」わけです。
『一にイスパ、二にフラ語、三、四はなくて五にチャイ語』
さて、英語の次に影響力が強いのは中国語であること、さらにはその次がロマンス語系の欧州語であることを見てきました。これはあくまでも社会的、あるいは経済的な視点からの「学ぶと良い言語」ですが、学びやすさを含めた言語学的な視点からは別の景色が見えてきます。
理論言語学と認知言語学、あるいは「豊かな成果へ誘う言語」といった世俗的な観点も含めて、日本人が英語の次に学ぶべき言語を、独断と偏見でもって提示すると以下のようになります。
『一にイスパ、二にフラ語、三、四はなくて五にチャイ語』
さて、言いっぱなしというわけにはいかないので、ひとつずつ説明することにしましょう。
まず、イスパ(スペイン語)。これは私が所属する上智大学の外国語学部の2外(第二外国語)でも、人気の外国語です。スペイン語は、フランス語やイタリア語、あるいポルトガル語と同じくロマンス語系の言語です。つまり、ラテン語から派生している西ヨーロッパで優位を占める語群のひとつです。
これらの言語を持つ国々は、ゲルマン語系のオランダ語、ドイツ語、英語と並んで、大航海時代から、70年前の原爆で終わった、長きにわたる植民地時代における、支配的かつ優位な言語です。自然、被植民地であるこれらの国々には、支配層であるこれら西欧の言語が深く根ざすに至っている。つまり、大東亜戦争で解放された植民地においては、これらの言語を話す人々が未だにいることになります。
言語学的には、少数言語が消えていくことは人類の負の遺産だとも言われますが、二極化はある意味、自然の摂理です。それも悪いこととは言い切れず、それにより高等教育を受けられる途上国もあるわけです。南アフリカなどは、旧植民地時代のオランダ語を捨て英語に統一すべしという運動があったのですが、これも、「長いものに巻かれる」自然の摂理の一発露なのかもしれません。門外漢なので、言いっぱなしでご勘弁ください。
はてさて、英語、中国語と続いて、その次に話者人口が多かったのがイスパ(スペイン語)です。先進国の一員の主要言語であり、しかも話者数の多い言語となれば、やはりイスパを外すわけにはいかないでしょう。
また、音声学的にも母音が五つである点は日本語と似ており、他の音素もまぁまぁ、日本語と共通しています。さらに音韻的には開音節が英語と比較して多いことなども日本語との類似点です。開音節が多いということは、再音節化が頻発する英語などと異なり、分節がしやすいというメリットがあります。
もちろん、統語的には日本語とはかなり異なりますが、ロマンス語である点や話者の多い点なども考慮すれば、日本人が英語の次に学ぶべき言語としては、スペイン語はトップにランクインして然るべき言語でしょう。
次に、フランス語です。日本人がフランス語を学ぶ際に直面する容易な点と困難な点は、音素、音節、言語構造などいくつかあります。以下にその一部を示します。
習得の困難な点に関しては、まず、フランス語の発音は日本語とは大きく異なります。特に、鼻母音や特定の子音の連結、さらに無声の子音(語尾の多くの子音は発音されない)などは、日本人にとって最初は難しい場合があります。また、動詞の活用も少し手こずります。フランス語の動詞は、多くの時制や人称によって活用します。この複雑さは、日本人学習者にとって挑戦的でしょう。さらに、性と一致:名詞の性(男性・女性)とそれに関連する形容詞や代名詞の一致は、日本語にはない概念であり、それを正しく使いこなすのには時間がかかる場合があります。
習得の容易な点としては、フランス語はラテン文字を使用しているため、英語と同様の文字が用いられます。日本人は学校で英語を学ぶため、文字の読み書きに関しては新しいシステムを学ぶ必要がありません。
また、なんといってもフランス語の学習が容易である点は、語彙にあります。英語の語彙の6割は、フランス語由来です。フランク王国にイギリスが征服されたことで、元々の英語にフランス語の語彙が流れ込んだためです。その他にも、フランス語はロマンス語系なので、ラテン語と一致する語彙も豊富です。英語の語彙の15%ほどはラテン語系なので、フランス語の学習において、英語の学習のおかげで「すでに知っている語が多い」ことはフランス語学習を容易にします。
今でこそ、フランス語は英語に世界公用語の地位を明け渡しましたが、先の大戦前までは、世界共通語といえば、なんといってもフランス語でした。上に述べたように、英語を知っていることがフランス語の学習を楽にするので、2外にはフランス語を選んでみるのも良いでしょうね。
最後の中国語ですが、誠に申し訳ありませんが、僕が中国語に関して知るところはほとんどありません。言語の分け方はいくつもありますが、語の配置のしかたで分ける方法があります。
例えば、日本語は膠着語に分類されます。膠着語とは語と語を助詞で糊のように繋げていく文法です。また、屈折語とは、動詞を活用したり名詞の語尾が変化するものです。例えばラテン語の “Cogito ergo sum.”(考える故にわれあり)の ‘cogito’ は一人称単数現在形です。’sum’ も同様です。つまり、’cogito’ とか ‘sum’ と言った瞬間に、主語が ‘I’ であることが分かるわけです。フランス語やスペイン語などのロマンス語は屈折語です。英語も動詞が数と時制によって変化します。名詞ではほとんど屈折は失われてしまいましたが、代名詞の目的語などに一部屈折の面影が残っています。この点、英語も屈折語と考えてよいでしょう。
そして、中国語です。こちらは、孤立語と呼ばれます。独立した語が並ぶわけです。英語もそうですが、その並び方に規則があって、そこで文法関係が分かります。また、発音に関しては、例えば日本語は「橋、箸」などピッチによって意味が変わりますが、中国語では同じ音でも四声と呼ばれるメロディーのようなトーンによって意味が変わります。なかなかに日本人学習者には荷が重いかもしれません。
以上のように考えれば、学習のしやすさは、やはり「イスパ、フラ語、チャイ語」の順になるのでしょう。
さて、長々と書いて参りましたが、皆さんもそろそろ第二外国語を考えてみてはいかがでしょうか。英語のベースがあるので、第二外国語の習得は英語よりは楽になります。また、幼児期に第二外国語を学習する最大のメリットは、「音の学習」にあります。「パルキッズ」では英語の音をかけ流すことによって、幼児たちに、まずは音素の知識、続いて音節の知識を機能的に学習させます。これで英語を聞き取れるようになるわけです。同時にフラッシュカードで、聞き取った音の塊に意味をつけていき、さらには「としおの1日」などの会話文や絵本などで、句や文単位の理解を身につけるように作られています。幼児期に第二外国語をかけ流すことで、子どもたちは、容易にそれら外国語の聞き取りができるようになるのです。
外国語学習の一番の障壁は、聞き取りです。その聞き取りの部分や、語の知識の部分だけでも身につけてしまえるならば、彼らが将来、第二外国語を学習するときにずいぶんと負担を軽減することができます。つまり、幼児期の第二外国語学習は将来の「保険」のようなものです。
このたび、「パルキッズ」では「パルキッズプリスクーラー」のスペイン語版とフランス語版を併せて発売いたします。お子様の将来から「言語の壁」を取り払う効果が期待できますので、ご活用いただけると幸いです。
【編集後記】
今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
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【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)
児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。