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2024年10月号特集

Vol.319 | 勉強のできる子はここが違う

認知の歪みはメタ認知で正す

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-2410/
船津洋『勉強のできる子はここが違う』(株式会社 児童英語研究所、2024年)


理解力とは

理解力とは 若い人と話しをしていると、いろいろなことに気付かされます。最近の大学生は、電話というものを殆ど使わないようです。「家族以外に電話したことがない」あるい「電話を使った覚えがない」という学生も珍しくありません。
 今では三十路の我が家の次男も、大学生の頃、家族の温泉旅行にて「フロントに氷を頼んで」という私の依頼に接して、ダイヤル式の電話機を前に、ダイヤルの穴の中の数字を押してみたり、試行錯誤していたことを思い出します。
 最近では、Eメールも使わずにソーシャルメディアで済ませてしまうことも少なくありません。かく言う我が社でも、あるいは研究室でも、ちょっとした連絡はメッセンジャーなどを使用し、メール無しで済ますことも日常的です。電話は、緊急時か運転などで手が塞がっているとき、あるいは意見交換をしたい場合などに使用が限られます。
 また、たとえば飛行機や宿の手配などの企業サービスを受ける場合も、大抵はオンラインで済ませてしまいます。行きつけの宿や食事処、あるいはオンラインでは解決できないような事情がある場合などは電話、メールも使いますが、大抵の場合、言葉のやりとり無しで事が足りてしまう今日です。
 このように、便利な世の中であることは間違いありません。しかし取引先とのやり取り、トラブル、相談事などとなると、少なくともメール、あるいは急を要する場合などは直接面談するか、状況がそれを許さなければ、代わりに電話を使用するのが未だに一般的でしょう。
 しかし、この電話がなかなかうまく使えない人が少なくないようです。例えば、イベントの手配などで電話を使う場合、相手の顔が見えずに、なかなか真意を伝えられず、先方を苛つかせてしまうこともあります。ここで足りていないのはどんな能力なのでしょうか。
 また、対面のコミュニケーションの中でも、知らず知らずのうちに相手を怒らせていたりすることもあります。このようなことはなぜ起きるのでしょうか。
 これらの能力は、社会に放り出されれば自然と身につくものかと思いきや、なかなかそうではないようです。「イマドキの若い者は」などという陳腐な一般化をするつもりはありませんが、どうも「相手の意図・心情を読む」こと、また「相手のスキーマを想像する」ことが苦手な人たちが増えているような気がします(スキーマについては後述)。これは、彼らが育ってきた環境に問題があるのかもしれませんし、単なる老人の勘違いかもしれません。ただ、老人の思い違いとは言い切れない事象も数多く見られます。
 基本的に人の認知は、知覚力に大きく依存します。さらに知覚したものから覚醒される背景知識は、人毎に異なり、思考の単純化などによる様々な思い込みを始めとした思考バイアスを通過することになります。それによって、同じものを見ても、十人十色の認知が行われるわけです。これをスキーマと呼ぶそうです。
 そのスキーマが、「思考力・判断力・表現力」の形となって表出することになります。しかし、そこに「メタ認知力」が欠けていると、自分の思考や言動を内省できずに、様々なコミュニケーションの問題が生じるに至るわけです。

 先月号の『パルキッズ通信』では、「知らないものは存在しないに等しい」という知覚の視点から、インプットの重要性を説きました。今月号では、知覚された情報が頭の中でどのように処理されるのかについて見ていくことにします。
 勉強ができないのも、仕事上の問題も、家庭内でのミスコミュニケーションも、すべては「知覚」から、背景知識の活性化から様々なバイアスを通った、個人のスキーマにおける理解と、その表出という一連の認知(あるいはメタ認知力や非認知能力)の流れの中で生じてきます。以降、具体的に見ていくことにいたしましょう。


認知がうまくいかない人たち

認知がうまくいかない人たち 私たち日本人の英語力は、一般に大したことありません。むしろ、お粗末と言っても過言ではないでしょう。英語での会話のシーンでは、先方の発する英語らしき音声の連続から、聞き取れた単語をいくつか組み合わせて、理解しようとするのが、英語の苦手な普通の日本人の英語の処理の仕方です。もちろん、偶然、正しく先方の意図を理解することも起きるかもしれません。しかし、正しく理解できない、あるいは真逆に理解するようなことの方が生起確率が高いのではないでしょうか。
 これは、苦手とする英語であれば、まぁ、仕方がありません。しかし、母語である日本語ですら、そんなお粗末な状態での使用が見られるのですから、あきれてしまいます。
 とある会合に参加したときのことです。招待してくださった企業のスタッフの方と話しているうちに、ひょんなことからマスクの話になりました。僕はそこで、「聞いた話」と前置きした上で、「日本人は、話をする際に相手の目元に視線を置く傾向にある一方で、アメリカ人はそうではなく、相手の口元に視線を置く傾向があるようだ」と話しました。そして、その結果「コロナ禍を経て、欧米人がいち早くマスク生活から抜け出したのに対して、日本人はそうではない」。つまり、「口元を見て話をしたい欧米人にとっては、コミュニケーションにおいてマスクは邪魔であるのに対して、日本人のコミュニケーションにおいてマスクはそれほど邪魔ではない」そうですよ、という話。すると、スタッフの女性の一人が「そうですよね、アメリカ人は目を見て話をしますよね」と言い出しました。反論があるのかなと待っていると、それで話はおしまい。つまり、彼女は僕の話を聞いていなかったのか、あるいは「アメリカ人は目を見て話す」という信念を持っていて、僕の話に「欧米人は〇〇を見て話す」などというキーワードが出てきたので、直感的に僕の話を真逆に理解したのかもしれません。酔余の雑談ですし、僕も専門家ではないので、なんのトラブルを引き起こすわけでもありませんが、これがもしビジネスの打ち合わせとなれば、話を先に進めるのが少し心配になってしまいます。
 このように、知覚された情報を正しく理解できない人たちが、少なからずいるわけです。しかし、こうした拙い言語能力が故に正しく理解できないケース以外に、理解のフィルターとなるスキーマによって、インプットされた情報が歪んで解釈されることがあります。スキーマは個々の生育段階で培われる理解の回路や、特定の信念に基づいて情報が解釈される色眼鏡のようなものなので、それを通して歪んで(もちろん悪いわけではなく、個性として)情報が知覚されてしまいます。そのスキーマによる解釈、あるいはとある概念を間違えて使用することで、情報が正しく伝わらなくなるのです。


タメ口お断り?

タメ口お断り?「タメ口はお断り」などという表現をするサービス業があるということを、ネットニュースなどで見かけます。趣旨としては、ぞんざいな口のきき方、あるいは相手を馬鹿にしたような物言い、はたまた言いがかりのような物の言い方をするお客はお断りということらしい、と記事を読めば状況は理解できるのですが、なぜタメ口がいけないのでしょうか。
 卑近な話で申し訳ありません。私は特段行きつけの店でなく、旅先の一見の店でもあまり敬語は使いません。例えば「3人入れる?」「ビール頂戴」とか「お手透きで注文ね」などと声をかけ、ビールが届けば「ありがとうね」、料理が届けば「この辺に置いといて」などと敬語も丁寧語も使いません。あるいは食事が済んだら「美味しかったよ」などと声をかけます。一切丁寧ではありません。この喋り方は、カスハラに相当するのでしょうか。
 念の為、辞書に当たると、「タメ口」とは「年下の者が年長者に対等の話し方をすること」(デジタル大辞泉)だそうです。僕くらいの年になれば、接する多くの人たちは私より年下ですので、このタメ口の定義には当たらないわけです。しかし、「タメ口」には「敬語を使わない言葉遣い」(現代用語の基礎知識)ともあります。すると、こちらの定義に私の物言いは当てはまりそうです。つまり、私は「タメ口の人」にカテゴライズされることになります。残念ながらこれらの商店では「船津はお断り」となるのでしょうね。

 と、すこし嫌味な書き方をしましたが、これは「タメ口」という概念が正しく使用されていないことが原因の誤表記でしょう。おそらく店側としては、ぞんざいな言い方、傲慢な物言い、人を見下したような言い方や、いちゃもんをつけるような、いわゆるカスハラと呼ばれるような物言いを「タメ口」という言葉に乗せてしまったのでしょう。
 タメ口でなくても、失礼な人はたくさんいます。敬語あるいは丁寧語で「(最初の)飲み物はビールに決まってるではありませんか」「当方の人数をご覧いただければ、3杯であることはお分かりいただけると思いますけど」あるいは「このお店は余程、教育がなっていらっしゃらないのね」「失礼ですが、皆様日本語が不自由でいらっしゃるのかしら」と言うのはOKなのでしょうか。
 そうではないと思います。問題は、言い方そのものではなく、メッセージの内容でしょう。しかし、そのような「失礼千万な客はお断り」というメッセージを発する際に「タメ口」という概念を用いてしまうという、少々雑で意味範疇の誤った語の選択、並びに使用をされる方が最近増えていらっしゃるようです。もちろん、語の意味は変化するので、すでに「人を見下した横柄な物言い」が「タメ口」の意味となっているのかもしれませんが、報道や情報発信をするならば、もう少し正確な語の選択を心がけた方が良いのではないでしょうか。まぁ、こんなことを言う輩こそ「面倒な客だな、出禁ね」などと言われそう。


ポライトネス・ストラテジー

ポライトネスストラテジー 物の言い方と、伝える内容について少し説明を加えることにしましょう。社会言語学の世界には、ポライトネス・ストラテジーという概念があります。ポライトネスとは礼儀正しさという意味で、ネガティブとポジティブの2つのベクトルがあります。ネガティブと言っても、マイナスのイメージでは特にありません。ポジティブも同様で、ポジティブだから良いというわけではありません。
 ネガティブ・ポライトネス・ストラテジーとは、相手と距離を保った話し方をする話法です。例えば、朝出掛けのご主人に「申し訳ないんだけど、帰りに卵1パック買ってきてもらうことできます?」と言うのが、この話法に当てはまります。余談ですが、女性同士の会話では、このネガティブの方がデフォルトで使用されるようです。ただ、男性はこれを嫌う傾向にあります。こういう言い方されると「いや、買ってくることはできるけど、で何?」と感じてしまう。
 その逆、ポジティブの方だとこうなります。「帰りに卵買ってきて、お願い」。こう言われる方が、男子にはピンときます。「了解。忘れるといけないから、メッセージいれておいて」となります。つまり、「卵を買ってきてほしい」というメッセージを、どの話法、つまり物の言い方に乗せるかで、相手の理解の仕方が異なるのです。
 相手との距離を置くのがネガティブ・ポライトネス・ストラテジーで、誤解を恐れずいえば、丁寧語の使用はネガティブ方向の印象を与えます。「なぜ夫婦なのに他人行儀な言い方をするのだ」と感じるご主人もいるかも、です。逆に「です・ます」を使わず、気のおけない友達同士や、母親から子どもに対する話しかけのような話法が、ポジティブ・ポライトネス・ストラテジーです。先の「ビール頂戴」「手が空いたらこっち来てね」などがこれにあたります。このポジティブの方ですが、使い方によっては相手との距離を縮める効果があります。私くらいの年齢になれば、ずいぶんと使い勝手の良い話法です。
 もちろん、学生などが目上の者に対してもポジティブ・ポライトネス・ストラテジーを使うことができますが、その場合には、丁寧語を混ぜるなどの工夫があれば、それほどマイナスのイメージは与えずに先方を動かせるかもしれません。まぁ、それも受け手のスキーマによるので、様子を見て探りながら使用する必要があることは付け加えておきましょう。
 さて、このように考えると、私のようなタメ口使い(「敬語を使用しない」という意味の)が、一律にカスハラというわけではないことはお分かりいただけましたでしょうか。おそらく店側が嫌っているのは、客の「客が偉い」「客の言うことは聞いて当たり前」「店の人は尊重しなくて良い」という、傲慢であるいは理不尽な姿勢でしょう。これは、口のきき方以前に、さらに伝えたい内容以前に、人格の問題でしょう。
 従って、より正確に伝えるために、店側としては「当店では、自分を偉いと誤解し店側の人間を人とも思わないような態度で接する残念な人格の持ち主は、その話し方が丁寧・ぞんざい・失礼であるか否かにかかわらず、一切のサービスの提供をお断りいたします」とでもしていただければ、僕も心配せずに今のままの物言いでお店の人と接することができるというものです。


認知とは知覚情報の背景知識の活性化とその解釈及び理解

認知とは知覚情報の背景知識の活性化とその解釈及び理解 さて、少し例え話と説明が長くなりましたが、ここでのポイントは、語の意味範疇や自分のスキーマの見直しを心がけましょう、という点です。先月号では、語彙を豊かにすることで知覚力を上げることが、認知の能力の向上につながるとしましたが、せっかく知覚できた情報、つまり文なりの形で発信されたメッセージもそれが相手に正しく伝わっていないこともある例をみてきました。
 言語学の世界では、スピーチチェーンという概念があります。ここではまず、Aさんが頭の中に思い描くイメージやメッセージは、語彙目録(頭の中の辞書)の語を選択して、文法に参照しながら文の形に整えられます。そして、その音韻規則に則って音声化され、Aさんはそれを声帯や唇、舌、歯などの調音器官を使って音響信号(音波)に変換します。次に、Bさんは、その音波を外耳と鼓膜で受け取り、内耳で電気信号に変換して脳に送ります。Bさんの脳内では、電気信号に変換された音波が、今度は音韻情報に変換され、語が知覚され、背景知識が活性化されます。そして語の連続体、つまり文として知覚されます。その先に、理解と解釈の作業である心内表象化が行われます。これがBさんの受け取ったメッセージとなるのです。
 AさんとBさんとでは、スキーマが異なるので、相当なことがない限りAさんの発信したメッセージとBさんが受け取ったメッセージが完全一致することはありえません。伝言ゲームを思い出せば、ご理解いただけるのではないでしょうか。5人なり10人の異なるスキーマを通過するうちに、オリジナルのメッセージが変わっていくのを、皆様も目にしたことがあるはずです。
 このように、認知の中でも知覚の部分はインプットで手軽に伸ばすことができますが、解釈や理解の処理の部分においては、個々のスキーマが異なるため、相手の立場を想像しながら、こちらのメッセージを発信する、あるいは、相手のメッセージを解釈する必要があるのです。


状況の理解力

状況の理解力? ここまでは、言語として表現されたメッセージの知覚・理解という認知に関して述べてきました。簡単に言えば、読んだり聞いたりして受け取った情報の処理の仕方です。そして、そこには取れる情報量の多寡があること、さらにはスキーマによって解釈が決定づけられること、さらには、そのスキーマは信念のバイアスによって歪むことがわかりました。それでは、ここからは、特に「メタ認知」という概念を用いて、もうひとつ深いレベルの思考について考えていくことにします。
 「メタ認知」とは認知心理学の用語で、「より高次の」を意味する「メタ」が付くことで、自分の認知を別の視点から振り返る認知力のことです。余談ですが、本来「メタ」にはその意味はなく、もともとは「中間の」という意味で、続いて metathesis(「音位転換」)における「場所を変える」という意味でした。それが metaphysics(「形而上学」)のニュアンスから誤解釈されて、現在の metalanguage(「とある言語を観察するための言語」)とかmetacommunication(「私が言いたいのはここです」などのすでにあるメッセージの説明など)の「より高次の」の意味が現代では定着しているようです。
 認知力が重要であり、それを育てることが世の中の理解のレゾリューションを高めたり、より正確に相手のメッセージを読み解く鍵になるのですが、それだけでは不十分なのです。例えば、コミュニケーションにおいてぶっきらぼうな物の言い方をする人、すぐイラッとする人、自分の考えを上手く伝えられない人、あるいは仕事上でのスムーズな意思疎通が苦手な人などは、このメタ認知力に問題があるのかもしれません(あるいは非認知能力に課題があるかもしれませんが、今回はこの点については触れません)。
 それでは、以降、メタ認知能力について、いくつか具体例を上げながら見ていくことにします。


勉強できない子は勉強すれば良い?

勉強できない子は勉強すれば良い いくら勉強しても、成績が伸び悩む子がいます。それこそ学校から塾に直行、帰宅後も就寝まで机に向かう。それでも思うように成績が伸びない。大学受験に失敗し、一浪して予備校に通いながらせっせと勉強し、たまには気分を変えてカフェでも勉強、それでも志望校の判定は一向に上向かない。これは、なぜでしょう。  ひとつには、認知力が弱いことが挙げられます。認知力が弱ければ、問題が正しく理解できていない可能性があるわけです。『パルキッズ通信2022年9月号』で触れているように、問題文を読むことはできるが理解できない子が増えている。より正確には、極めて多い比率で存在します。『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著 東洋経済新報社)、ここで紹介されている与えられた命題(「世界一高い山はエベレストである」)に対して、その設問(「エベレストは富士山より高いか」)は、単純な一般化(「世界一高ければ、すべての山より高い」)に参照すれば答えは導き出されます。しかし、この問題に正答できない子が少なからず存在する。その子たちは、おそらく一般化ができていないのではなく、それ以前に命題を理解できていないのでしょう。
 こんな短い文すら理解できなければ、より複雑な命題の理解はしようがありません。こうした子たちは「エベレストは富士山より高い」「エベレストは高尾山より高い」「エベレストは三笠山より高い」と、ひとつずつ覚えていく以外ないのでしょう。こんな暗記をいくら積み上げても、成績が上がるわけがないことは、言うまでもありません。
 認知、つまり知覚した情報を理解・解釈、心内表象化するというのは、抽象化することに他なりません。抽象化というのは細々とした事象を一般化して理解する、人間の本能ともいえる言語能力です。理解力が低い子は、このように便利な言語能力を使いこなせないので、記憶に頼る以外、勉強の方法がなく、結果として良い成果が期待できないのです。


メタ認知の働かない子達

メタ認知の働かない子達 上記の例のように、認知力の弱さゆえに勉強の成果が上がらないこともありますが、それ以上にメタ認知力の低さが勉強の努力を無駄にすることがあります。簡単に見ることにします。
 メタ認知とは、自分の認知したコンテンツに対する理解を、別の角度、あるいはより高次の視点で観察することです。
 メタ認知力に関しては、ダニング、クルーガーの興味深い実験が有名です(ダニング=クルーガー効果)。彼らは、学生を成績順にグループ分けして、試験の成績の予測をさせました。すると、成績の低いグループの学生たちは、自分たちの実際の能力より遥かに高い点数を予測したのです。他方で、成績の中位のグループはだいたい予測と実力が拮抗し、成績の高いグループでは自分の成績を実力より低く予測しているのです。
 皆まで言いますまい。皆様も、そんな人たちの一人や二人に出会ったことはあるでしょう。成績下位のグループは、自分をより高次の視点、あるいは客観的に眺めてみるメタ認知ができていないのです。古くは「中二病」と揶揄された若者たちが知恵をつけ「挨拶をしない自由」などと主張するのも、メタ認知能力(あるいは非認知能力)に問題があるという証左のひとつかもしれません。

 メタ認知とは、繰り返しますが(←因みに、この一句は「メタコミュニケーション」)、自分の認知をより高次の視座から観察することです。子どもにもわかるように言い換えれば「自分が間違えてるかもしれないから、念の為、見直しをしておく行為」とでもなりましょう。
 中二病の人たち、あるいはダニング、クルーガーの成績下位の学生たちは「自分が間違えているかも」と思い至らないのでしょう。「自分が間違えているかも」と思わなければ、試験の見直しをすることもないでしょう。また、先生に「見直しをしなさい」と言われれば、ひと通り「ハイハイオーケー」とさらっと流しておしまいになります。
 他方、メタ認知力の高い子は、「自分は大体において正解を出す」ことを知っている一方で「たまに間違える」ことも知っています。そこで、見直しが行われます。そもそもメタ認知力が高い子は、試験時間の配分も上手です。いきなり問題を解き始めることはせずに、サラッと全体を見渡して、「なるほど」と把握できたら、難しそうな問題を頭に叩き込んだうえで、解ける問題からさっと解いていきます。人間の脳は並列処理ができることを、彼らは体験から知っているのかもしれません。そして、必ず最後に確認する時間を確保します。解けない問題に首っ引きになって、タイムオーバーとなる前に、得点できる問題は確実に得点するという意識が働くのです。「頑張って問題に取り組む」という手前から思考ではなく、「試験に合格する」という目的地を見据えて試験に望むわけです。この両者の間には、勝負すら成立していないのです。

 メタ認知力の弱い子たちの名誉のために付け加えておきますが、メタ認知力の弱い子は、彼ら自身が悪いのではありません。素直に先生や親の言うことを聞いて、ひたすら計算問題を解いたり、漢字の書き取りをしたりするような作業を「勉強」と刷り込まれ、認知力やメタ認知力を伸ばすためのインプットや、思考のための時間のゆとりもない忙しい日常を過ごさせる現代社会が、あるいは失敗するという経験をさせない社会の風潮が、メタ認知力の弱い子どもを育てているのではないか、と個人的には結論付けているところです。
 間違った勉強のやり方を繰り返させることで、それが身についてしまう。つまり、考えることをせずにひたすら問題を解く、あるいは記憶するという作業が、身に染み付いてしまっているのでしょう。これは、彼らの問題ではなく、彼らを取り巻く社会の問題なのです。

 因みに、大人もこのようなメタ認知力不足の思考に往々にして陥ります。例えば「健康な人は風呂に入っているから、私も健康になるために風呂に入る」などという人は、そこに「時間とお金に余裕のある人」が「健康であり、さらには風呂にもよく入るようだ」という視点が欠けてしまっています。
人の思考は、知覚されたものを認知したうえで、様々な思考バイアスのフィルターがかかってきます。例えば『パルキッズ通信2024年1月号』でも触れた、「正常性バイアス」や「同調性バイアス」などがそれです。このような、物事の単純化について、最後になりますがあと2点だけ、「生存者バイアス」と「確証バイアス」という概念でもって見ていくことにしましょう。


生存者バイアス

生存者バイアス「生存者バイアス」に関しては、統計学者のエイブラハム・ウォールドによる第二次大戦時の爆撃機の補強箇所の話が有名です。爆撃機は戦闘機より重いので、比較的高高度でゆっくり飛んで、そこから爆弾をバラバラと落とします。当然、敵方の戦闘機の攻撃を受けますので、あらゆるところに被弾します。アメリカさんは偉いもので、帰還した爆撃機の被弾箇所を調べて、どこを強化すべきかの参考にしたわけです。
 被弾箇所を調べると、主翼の両端、双発エンジンと操縦席の後部、水平尾翼全体と垂直尾翼の一部に集中しています。(一旦読むのをやめて、画像サーチ「生存者バイアス」で検索してみてください。絵をご覧になりましたか?それでは続けます)直感的には、弾が当たっている箇所を補強しようとします。現に我が社のホープであるインターンたちも、ほとんど被弾箇所に丸をしました。ところが、ウォールドは被弾していない箇所を補強すべきと主張するわけです。理由は簡単。彼は、帰還しなかった飛行機は、帰還した飛行機が被弾した場所「以外に」弾が当たって撃墜されたと判断したのです。

 言われてみれば、当然ですよね。ただ、そこに思い至らないのが、我々が無意識のうちに虜になっている「生存者バイアス」なのです。言い換えれば、見えるものしか見ずに判断する。見えていないものは無視してしまうバイアスです。
 これは、爆撃機に限ったことではありません。投資もそう、トレードもそう、あるいは学習法もそう。巷にあふれる「こうしたらこうなった」本は、読者の生存者バイアスに寄生している商売と言えるでしょう。一人の成功者の背後には、無数の言葉を発しない失敗者たちがいます。そこに思いを馳せることが、失敗しないためには最も重要なことなのです。つまり、飛行機の例では撃墜されないこと。しかし、人間は愚かなもので、見えるところしか見なくなる。そして、成功者のみを見て、判断することになるのです。結果は推して知るべし。言い換えれば、成功者とは失敗しなかった人なんですけどねぇ。見るべきは失敗者であり、それを見ることができるのは、メタ認知の働きなくしてありえないのです。

 メタ認知。なんだか難しそうですか?そんなことありません。例えば「AとBがじゃんけん5回勝負をしました。ふたりとも同じ回数だけ勝ちました。どういうこと?」というなぞなぞも同じです。皆さん解いてみてください。ひょっとして、お子さんのほうが解けるかも。そうであれば、そのお子さんのメタ認知力を潰さないように、大切に育ててあげてください。


確証バイアス

確証バイアス さて、最後にひとつだけ。生存者バイアスは偏った認知であり、その偏った認知を「本当にそうか?」と疑うメタ認知が重要な役割を果たします。しかし、困ったことに人間は、自分の判断であれば、たとえ間違っていようとも、都合の良いところばかりを見て、都合の悪いところはスルーするという思考バイアスを持っています。それが、「確証バイアス」です。これは困ったものです。
 これは特に、人生における重要な判断をした時には、必ず効いてくるバイアスです。例えば、「中学受験で希望の学校には行けなかった、でも結果良かった」とか、「希望の大学には落ちたけど、結果良かった」という考え方です。高い買い物をする時なども、このバイアスが効いてきます。自分の購入は「正しかった」という、信念とも言えるものを持つようになり、都合の悪いことは聞きたくない、都合の良いことだけ聞く、という姿勢を持つようになります。これは、もう仕方がないのです。これに抗うには、大変な精神力が必要となります。
 現に、とあるN=1の学習法を信奉した場合、そこに「そんなやり方でうまくいくはずはないよ」という科学的な反証が出てこようとも、「いや、でも例外もあるでしょう」となる。生存者バイアスで言うところの「生き残った人」ばかりを見ていて、科学的に「その人は運が良かった」という結果が出ても「でも、例外はあるでしょう」となれば、最早それは信念であり、論理の入る隙間はないのです。それが確証バイアス、恐ろしや…。

 さて、どうでしょう。認知やメタ認知の話、面白かったでしょうか。それとも、眠くなってしまいましたか?今回の話から少しでも教訓を引き出していただければ、書いた甲斐もあるというものです。
 認知力の高め方に関して、あるいはメタ認知力の高め方に関しては「地頭力講座」で説明していますが、加えて認知やメタ認知を同時進行で働かせるためのワーキングメモリに関しても、どこかで書かなくてはいけないな、と思いつつ、今回はこのあたりで書類を閉じることにします。


【編集後記】

今回の記事をご覧になった方におすすめの記事をご紹介いたします。ぜひ下記の記事も併せてご覧ください。
「スピーチチェーン」とは
読めるけどわからない
理解力・思考力・表現力の高い子を育てる簡単な方法
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英語教室と幼児向け教室の役割

【注目書籍】『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)

特集イメージ9 児童英語研究所・所長、船津洋が書き下ろした『子どもの英語「超効率」勉強法』(かんき出版)でご紹介しているパルキッズプログラムは、誕生してから30年、10万組の親子が実践し成果を出してきた「超効率」勉強法です。書籍でご紹介しているメソッドと教材で、私たちと一緒にお子様をバイリンガルに育てましょう。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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