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2010年9月号特集

Vol.150 |日本人はなぜ英語が出来ない?

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1009/
船津洋『子どもはどうしてコトバを身につける?』(株式会社 児童英語研究所、2017年)


| 根が深い英会話信仰

 新聞や雑誌を開けば、必ずと言って良いほど目にする「英会話教材」の広告。新聞や雑誌ばかりではありません。インターネットでも「英語」関係のキーワードを打ち込めば、まるでそれが検索結果であるかのように「英会話教材」の広告が表示されます。また、一時期ほどの活況は見られないものの「英会話スクール」の広告も通勤電車の車内やテレビCMなどで日常的に目にし続けています。
 日本においては「英語教育」といえば「英会話」が真っ先に浮かんでくるような傾向があるようです。これは各社の宣伝が及ぼす無意識への効果もあるでしょうし、また学校教育の場でも、学校は「受験英語」を教える場所で「英会話は各自ご自由に」という風潮も何かしらの影響を及ぼしているのかもしれません。実際にコミュニケートのツールとして使える英語を身につけるには、受験英語だけでは足りない、と言うわけですね。誰が決めたか、それが共通認識です。そんなこんなも相乗的に効果して、我々のメンタリティーに「使える英語を身につけるなら、英会話をやらなくては」という意識が、程度の差こそあれ、すっかり根を下ろしています。
 もっとも、パルキッズを実践されているご家庭では、英語教育について、世間一般よりは一段も二段も深く考えていらっしゃる方が多いので、「英語=英会話」という単純な図式で捉えている方は少ないと思いますが。
 しかし、世間でも、一部の真面目にやっている方達は「英会話ではダメだな」と感じ始めているようです。それが英会話離れを招き、大手英会話スクールの経営破綻が引き起こされているのかも知れません。とはいえ、まだまだ「英会話信仰」は根深いですね。


| 日本人が英語が出来ない理由

 英会話で英語が身につくのかどうか。英会話の効果を検証するよりも「なぜ日本人が英語を使いこなせないのか」1枚ずつベールを剥がすことで、根本の原因が見えてきます。
 なぜ、日本人は英語が使えないのでしょう。「英語を聞き取れない」から使えないのでしょうか。「口下手」だから上手くしゃべれないのでしょうか。確かに聞き取れないことは事実です。さらに口下手についてですが、英語と違って、日本語で交わされる会話自体が理路整然とはしていません。そもそも自分の考えを論理的に伝えるのが苦手なので、口下手は仕方がありません。
 聞き取れなかったり口下手であるのは、「会話」をするに当たっては障害となります。しかし「英語」自体を理解することに関しては、我々の理解力はどうなのでしょうか。次は、日本人の「英語の読解力」についてみてみましょう。
 大学まで行った方なら、受験英語をたっぷり身につけているはずです。語彙も5000語くらいはあるでしょう。このくらいの語彙があれば、アメリカ人の小学校中学年くらいの読解力はあるはずです。どうでしょう?我々に英語の読解力はあるのでしょうか。
 答えは簡単、「NO」ですね。もし我々が英語の読解力を身につけているのであれば、子ども向けの小説くらいは、原語で読めるはずです。試しに読んでみてください。おそらく10ページも読む前に、わけが分からなくて、投げ出してしまうことでしょう。また、最近はビデオからDVDへとメディアが進化して、便利な世の中になったもので、ひと昔前までは専用の装置がなければ見ることが出来なかった、洋画の「英語字幕」もスイッチひとつで表示させることが出来るようになりました。せっかくですから、試しに英語字幕で洋画を見てください。音声があると、どうしてもそちらに気を取られてしまうので、音声を消して観てみましょう。どれだけ理解できるか体験してみてください。
 もし、小説を読んで、または洋画を英語字幕で観て、ほとんど理解できるようでしたら、あなたは英会話には苦労されていらっしゃらないことでしょう。ほとんどの方は、読んでも英語が分からない、もしくは理解するのに膨大な時間がかかるのです。


| 読んでも読んでも分からない

 学校で、散々実践してきた「英語の読解」。少なくとも6年かけて、英語を読んで訳す練習をしてきたわけです。ところが、いざフタを開けてみれば、読んでも分からない。もしくは1冊の本を読むのに1ヶ月もかかる。1本の洋画を理解するのに何時間もかかる。これは一体どういう事なのでしょうか。
 結論から言ってしまえば「日本語に訳すからいけない」のです。第一に、英語を日本語に訳すのには時間がかかります。会話は情報のキャッチボールです。仮に聞き取れたとしても、聞き取った英語をいちいち日本語に訳して理解して、それから日本語で考えて、それをさらに英語に訳す。こんな事をしていたら、会話のスピードには追いつきません。
 それともうひとつ、日常の筆記活動はだいたい1,000単語で9割方がまかなわれています。これは、中学校2年生程度の語彙数です。英文を読んでみれば分かることですが、そこで目にする英単語はほとんど知っているのです。洋画のDVDもペーパーバックで目にする単語も、その90数パーセント以上は中学校で習った単語なのです。しかし、その見慣れた単語達が組み合わさると、途端に意味が分からなくなってしまうのです。いかにも不思議な現象ではありませんか。


| 単語の語義と価値

 なぜ、このような現象が起きるのでしょうか。その原因は、我々が中学校で習ってきた「英語の処理法」に起因します。学校では、「ひとつの英単語に、ひとつないしは数個の日本語訳」のペアで覚えてきました。どなたも「単語帳」を作った記憶があるでしょう。あれなどが、その象徴です。単語帳自体に罪はありません。しかし、それにより英単語と日本語が1対1で“一致する”と、自然に感じてしまうことが問題なのです。 ‘head’ を見ると「頭」と浮かんでしまう。ここに問題があるのです。英語と日本語はそもそも発想の異なる言語です。定義の狭い単語なら1対1で対応しますが、定義の広い単語は1対1で対応していないのです。それどころか、ひとつの英単語に100もの日本語訳を含む単語すらあるのです。単語の持つひとつひとつの意味を「語義」と言いますが、語義が100もあったら、全て記憶するのは不可能でしょう。
 さらに、「イディオム(成句)」と名付けられたやっかいなモノがあります。要するに、動詞が前置詞とくっつくと、その単語の語義の枠に収まり切らなくなるのです。そこで、単語だけではなくイディオムまでをも、単語の拡張として記憶して行かなくてはいけなくなります。例えば、手元の辞書で ‘run’ を見ると、100近くの日本語訳が載っています。さらに、70程の成句が載っていました。たったひとつの単語で、これほどの語義を覚えなくてはいけないのです。
 こうなってくると記憶することばかりで、わけが分からなくなります。英語の授業は、英語を理解する能力の涵養どころか、単なる記憶に続く記憶の無限連鎖になってしまうのです。


| 丸暗記では分からないものがある

 でも、ちょっと待ってください。はたして、この方法は正しいのでしょうか?アメリカ人なら3歳の子でも普通に英語を使いこなします。ひとつの単語が持つ複数の「語義」を理解しています。英語を実際に使う人たちは、このように語義で単語を覚えているのでしょうか。もちろんそんなことは不可能です。例を挙げてみていきましょう。
 例えば ‘give up’ は「降参する」と辞書に載っている表現ですが、‘give’ と「与える」をペアにして、さらに ‘up’ と「上へ」をペアにして記憶してきた我々が、これをそのまま訳そうとすると「上へ与える」となり意味が通じません。そこで、 ‘give’ のイディオムの項目を見ると、ありました。「降参する」ですね。このようにして意味を発見します。
 それでは、“ He’ll give in without a fight.” この文中の ‘give in’ はどのような意味でしょう。直訳すれば「中へ与える」ですので「彼は戦う前に中へ与えるだろう」となり、意味不明です。そこで、辞書でイディオムを検索すると「降参する」を発見できます。ここでようやく意味が通じるわけです。もちろんアメリカ人ならこの程度のイディオムであれば幼稚園児でも分かります。
 しかし、ここに登場した‘give up’, ‘give in’ ですが、両方とも日本語訳では「降参する」となってしまいます。一体何が違うのでしょう。アメリカ人たちは「気分」で使い分けるのでしょうか?そんなことではありません。この両者、日本語ではどちらも「降参する」ですが、英語では意味合いが違うのです。 ‘give up’は「対象となるものを投げ出してしまう」感じです。一方 ‘give in’ は「身を差し出して降参する」感じです。この違いは、イディオムの丸暗記からでは導き出せないのです。繰り返しますが、アメリカ人なら幼稚園児でも分かる違いなのです。
 丸暗記しても分からないニュアンスを、なぜアメリカ人達はいとも簡単に使い分けられるのでしようか。ここに我々がいつまでたっても使える英語を身につけられないことの答えがあるのです。実は彼らは、単語を「語義」ではなく、その単語の持つ様々なニュアンス=「価値」と呼ばれる定義で理解しているのです。
 例文の中の ‘give’ は「(何でもかんでも)差し出して与える」印象の言葉として理解しています。そして ‘up’ は「上の方向や状態へものごとを方向付ける」感じです。すると、なんとなく「万歳して放り出している」印象が分かります。さらに ‘in’ は「対象となるものや状態などの中へ方向付ける」価値を持っています。すると、‘give’ と合わさって「相手に身を差し出している感じ」が伝わってくるのです。
 このように、単語をその単語の持つ幅広い「価値」で身につけておけば、100個の語義やその単語に付随する数十個ものイディオムを覚えなくても、意味が分かるのです。


| 軽視される基礎的な単語

 単語帳について少し触れましたが、単語帳で記憶するのは決して悪いことではありません。意味の幅の狭い単語、価値の狭い単語は、日本語の単語とほぼ1対1で対応しているので、丸暗記の状態でも役に立ちます。しかし、価値の幅の広い単語は1対1の記憶法ではどうにもならないのです。
 そして、このように価値の幅の広い単語は、基本的な単語の中に多いのです。基本的な単語、使用頻度の高い単語ほど価値が広く、専門的な単語、難解な単語ほど価値の幅は狭くなる、大ざっぱな傾向があります。すなわち、中学校で習うような単語の中に、価値の幅の広い単語がたくさん詰まっているのです。
 しかし、学校ではこのような「価値の幅の広い基本的な単語」に、ひとつふたつの訳を付けてさらっと流してしまいます。それらの単語の持つ様々な意味を教えずに、表面的な意味だけ暗記させておしまいなのです。それよりは、価値の幅の狭い単語をいかにたくさん記憶するか、この点に重きが置かれているのです。
 アメリカ人の子どもたちが、なぜ3歳4歳で十分に英語を話せるのか。それは、基本的な単語を価値で覚えているからなのです。そして、日常生活で9割以上を占める、これら基本的な単語を掘り下げることの重要性は、日本の英語教育においてはあまり指摘されないのです。「英語を理解できるか否か」のキーはここにあるのですが等閑視される。これこそが大問題点ですね。もっと基礎単語に関心を払わなければいけません。


| 英語アタマ

 英語理解のキーは基礎単語にあるのです。基礎単語を「語義」ではなく「価値」で理解する。価値で理解するとは、単語の雰囲気を身につけることと同じです。要するに、日本語に訳すのではなく、イメージすることになるのです。
 我々のアタマは、中高のいわゆる「受験英語」との格闘の末、英単語を見ると何も考えず反射的に「日本語訳」が浮かんでくるのです。当然ですね。その様に、英単語に対応する日本語訳をいかに大量に記憶し、いかに瞬時にして頭に浮かべることが出来るのかが、評価されてきたわけですから。我々に罪はありません。
 しかし、この「日本語訳」のくびきから逃れないことには、英語を理解することは出来ないのです。本来あるべき姿は、英語を単語単位で訳してから日本語に並び替えるのではなく、英文を丸々英語のままイメージし、そして必要に応じてようやく日本語に訳せばよいのです。
 何も難しいことを言っているのではありません。何度も繰り返しますが、基本的な単語はわずか千数百語しかないのです。ほとんど中学校で習った単語です。しかも、その中で語義をたくさん含む「価値の広い単語」は数百語しかありません。我々はいかに「英語を使いこなす」ところのすぐそばにいることか。あと少しで英語は分かるようになるのです。
 基礎単語を定義で身につけることによって、英語を日本語に訳すことから解放すればよいのです。英単語を観た瞬間に日本語訳が浮かんでこないようになればよいのです。「日本語アタマ」で英語を考えるのではなく、英語は英語のまま考えられる「英語アタマ」を身につけてしまうことが、実践的な英語を使えるようになるか否かの境目なのです。


| なぜ従来の学習法では英語は身につかない

 改めて言うまでもありませんが「従来の学習法」つまり学校で習う学習方法では、文法知識や表面的な語彙はたくさん身につけられますが、「英語アタマ」を育てることは出来ないことは分かりました。では、冒頭で触れた「英会話」ではどうなのでしょうか。  これも答えは同じです。
 おそらく講師の外国人達は、自らが英語を使いこなせる寄る辺となっているところの、英語アタマの存在にすら気付いていないでしょうし、ましてやその英語アタマを創り出すために、必要な基礎単語の重要性などに思いを馳せたことすらないでしょう。そして、基礎単語を掘り下げることなく、そんな環境の中、会話表現を覚えたり、実践したりする。英語アタマがないまま、日本語アタマで考えた文章を英語に訳そうとするわけです。
 英語は、とても論理的、ロジカルな言語です。しっかりとルールが決まっています。ところが日本語の会話は、単語のやりとり。文である必要すらありません。そんな日本語アタマで浮かんだ文章を、そのまま英語に直しても、なかなか通じないのです。
 いくら会話の練習をしても、根本的な解決にならないことは明らかです。また会話文を聞くことにもあまり意味がありません。なぜなら、そもそも大人は英語を聞き取れないのです。これに関しては紙数の関係で詳細は避けますが、いずれにしても耳からの学習は、大人には効果がほとんどないのです。


| 子どもには子どもの、大人には大人の

 英語は「英語アタマ」で考えなくてはいけない。日本語に訳す方法から脱却しなくては、どうにもならないのです。そしてその英語アタマを作るキーワードが「基礎単語の価値を身につける」ことであることはお分かり頂けたでしょう。
 その視点でパルキッズを見てください。
 パルキッズは、幼児やリスニング能力のある児童が対象の教材です。パルキッズを与えることで、1年もしないうちに彼らは英文から単語を切り出す能力を身につけます。そして、聞き取った単語を次々に記憶していきます。
 その次が問題です。幼児達は、記憶した単語をその後も繰り返し耳にするうちに、前後関係から単語の持つ意味を推測していきます。そして、さらに同じ単語が別のコンテクスト(文脈)で現れるたびに、単語の持つそれぞれ特有の「価値」を広げていくのです。ひとつひとつの「語義」を説明したりインプットするのではなく、全体を大量に与え、たくさんの英文に触れることにより、よりバラエティーに富んだコンテクスト、すなわち「単語の価値を広げる材料」を与える必要があるのです。
 もちろん、ここに日本語の入る余地はありません。反対に日本語を与えることによって、「価値」から「語義」へと従来の学習法へ逆戻りさせていることになってしまうのです。この点は注意が必要ですね。
 かけ流しの重要性がお分かりになりますでしょうか。「なぜパルキッズに日本語訳が付いていないのか」もお分かり頂けたことでしょう。
 このようにして、子どもたちはかけ流しから「英語アタマ」を身につけていくことが出来るのです。
 それでは大人は?
  大人も同様に、大量の英文に接することが必要となります。ただし大人の場合にはふたつ問題点があります。ひとつは、聞き取りが出来ないこと。聞き取りが出来ないわけですから、耳からインプットすることができません。そこでもうひとつの入力法、すなわち「読解」に頼らざるを得ないのです。これが多読のメソドです。
 しかし、多読するだけではいけません。なぜなら、英単語を見ると日本語訳が浮かんでしまう悪習が染みついているからです。この習慣があるうちには、多読も効果が薄いのです。多読を進める際には、スピードをもって読み進めることが大切です。サーっと読むことによって、ひとつひとつの単語の日本語訳が頭に浮かぶことを防ぐのです。文章を読み進める際に、意味が分からなくても全く問題ありません。まずは英文を見ても日本語訳が頭に浮かばないようにすることが第一です。
 出来れば、昔話など、すでにストーリーを知っているものの方が、ストレスが少なく読み進めることが出来ます。そして、とにかく大量に読むこと。これにより、基礎単語の価値を広げていくことが出来るのです。そして基礎単語の価値が広がれば、英語を英語のままイメージできる、理解できる能力、すなわち「英語アタマ」へと繋がっていくのです。

 何でもかんでも英会話、何でもかんでもリスニング教材ではなく、英語を英語のまま理解できる「英語アタマ」を身につけること、本当に使える英語を身につけることを目標に据えれば、子どもには「多聴」、大人には「多読」というのが最も適していることは、自明の理なのです。


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プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。

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