パルキッズ通信 特集 | スピーキング, ヒアリング能力, 大量インプット, 発音, 英語教育
2015年05月号特集
Vol.206 | 使える英語
カギは「大量入力」と「正しい発音」にあり
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1505/
船津洋『使える英語』(株式会社 児童英語研究所、2015年)
「英語学習」「育毛」「美容」などなど、これらに関わる商売を”コンプレックスビジネス”と呼ぶそうです。確かに、”とりあえず”生きるにおいては、取り立てて必要ではありませんが、”より良い自分”を追求する人たちにとっては関心が深い、いやそれどころか無くてはならない対象なのかもしれません。
「より良い自分を追い続ける」というのは、現在の自分に満足していないことを意味しますので、これをコンプレックスビジネスと呼ぶのは、なるほど納得です。
さて、そんな対象にすらなっている「英語学習」。我々親の世代では少なくとも6年間、大学へ行けば8年間、さらに今の子どもたちは、小学校でも学ぶので少なくとも8年から10年かけて英語を学びます。それでも、運用可能な英語力が身につく―例えば、英語で小説を読んだり、たわいもない日常会話ができるようになる―確率は、残念なことに限りなく0パーセントに近いのが事実です。
ところで、「小説」や「日常会話」と書きましたが、一般的に複雑・難解であると考えられている専門的な論文や、日常会話よりレベルが高いと感じられているビジネス英会話は、実は”その筋の人たち”にとっては意外と簡単なものです。それは、内容を理解する前提として、業界内での専門的な単語や共通した知識があるからです。その点、小説やエッセイ、はたまた日常会話では、ありとあらゆる事柄が語られるので、こちらの方が意外と難しいものです。
さて、そんな「英語」ですが、これを身につけようとする時には、これまた、ありとあらゆる人たちが、ありとあらゆることを言い始めます。
「イギリスの英語が基本だ」「アメリカの英語の方が今や主流だ」「言語だけでなく文化も身につけるべきだ」「リンガ・フランカ(母語の異なる人たちの共通言語)としての英語を身につけるべきだ」などなど、身につけるべき英語の種類から始まり、「生きたコミュニケーションの中で身につけるべきだ」「発音は気にせず話しまくるのが良い」「やはり留学でしょう」「小さい頃に身につけさせると楽だ」「フォニックスが大切だ」「親が話しかけるべきだ」「絵本で英語を身につけさせると良い」などなど、英語学習の方法に関しても、皆様、様々なご意見をお持ちのようです。
もっとも、そんな皆様のほとんどは、専門家でもなければ、成功者―つまり「使える英語」を身につけた、もしくは身につけさせた方―でもないようです。テレビでも”コメンテーター”と称する文化人(?)たちが、自分の専門でもないことに何の臆面も無く物申す、そんな愛すべき無邪気な国民性を持っている我々です。加えてクリティカルシンキングのトレーニングなど微塵も行われていないので、メディアから流れてくる情報をそのまま信じてしまう従順さも持ち合わせています。英語学習に関しても、誰から何を言われても、不自然さを感じないのは当然でしょう。
それはそれで構わないのですが、巷に溢れかえっている英語学習メソッドの存在にも関わらず、実際の成果、つまり「使える英語」を身につけたいという願いが、達成されずじまいであることは、改めて言うまでもありません。
| どんな英語を身につける?
しかし、それでは困るわけですので、この辺りを少し冷静に見てみましょう。まず、世界中の人たちは「どんな英語」を使っているのでしょうか。
Jenkins, J. (2003) “World English” によると、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのように、英語のネイティブスピーカーたちが植民し、原住民や奴隷たちとの様々な交流を通して現在に至る、「母語としての英語」使用者数が3億4千万人存在します。他方で、インド亜大陸をはじめとして、フィリピンのような東南アジアの植民地、アフリカ大陸ではナイジェリアのような奴隷取引の拠点や、南アフリカのような植民地など、母語ではないまでも、行政や法律、教育などでの「公用語としての英語」使用者数も3億5千万人存在するそうです。
さらに、国内では英語の必要性がないにも関わらず、英語を利用する人たちや、マレーシアのように公用語の英語を一旦取りやめて、その後再び英語を公用語にするなど複雑な歴史を持っている国の人々、英語のネイティブスピーカーではなく、主に「リンガ・フランカ(母語の異なる人たちの共通言語)としての英語」の利用者を含めると、英語使用者の数はどこまで増えるのか見当がつきません。
さて、そんな様々ある「英語」ですが、読者の皆様は、どの英語を身につけたい、もしくはお子さんに身につけさせたいのでしょうか。もしくは、どのような英語を身につけるのが好ましい、もしくは現実的なのでしょうか。
この選択には、既述の発言群のように多分に「先入観」のフィルターがかかります。
私の周りの留学体験者を見ても、英国(UK)派と米国(USA)派、また、同じ米国でも東海岸派、西海岸派と好みが分かれるようです。どこの英語が「正しい」等ということはありませんが、英語使用者の数を見れば、UKで5,700万人に対して、USAでは2億5千万人と米国が圧倒的に多数です。また発信される情報、映画、音楽、コンピュータサイエンス、金融トレードなども米国中心であることを考えれば、どうやら米国式英語―妙な表現ですが―の方に、とりあえず軍配が上がりそうです。ただし、あくまでも使用者の数ですので、英国王室のように「英国式」にこだわることも、これまた尊重すべき考え方のひとつでしょう。
| 英語で何をする?
このように、英国式だ、米国式だという好みもありますが、これは言ってみればたわいもない問題です。どちらでも良いではありませんか。身につけてしまえば、米国式でも英国式でも、お互いに通じるわけですし、さらに他の英語話者たちとも十分通じ合えるのですから。
ただ、どちらにせよ「母語レベル」の英語を身につけるには、相当な努力をするか、生来高い言語能力を持っているか、もしくは留学でもしない限りは身につけることはできません。
すると、「なにもネイティブ並みの本格的な英語でなくても、使える英語であれば良いのだ」という意見が聞かれるようになります。これはまったくごもっともな意見です。
ところで、ネイティブ並みの英語と使えるレベルの英語では、一体何が異なるのでしょうか。
言語とは「コミュニケーションの手段」であることは間違いありませんが、コミュニケーションは必ずしも言語を通して行われるわけではありません。仕草や顔の表情、服装や化粧なども、雄弁にものを語ります。ヒトのコミュニケーション手段の中で「言語」の占める割合は30%とも言われます。そもそも、言語はコミュニケートの手段としてではなく、思考の手段として発生しています。ここは、なかなか英語学習者の考えが及ばない点です。つまり、英語をコミュニケートの手段として身につけるのか、もしくは思考の手段として身につけるのか、そもそもの問題はこの辺りから始まっているのです。
かくいう私自身の英語力を客観的に観ずれば、ネイティブ並みとは言えないまでも、高校・大学での米国留学とその後の様々な英語体験を通して、米国式発音と英語で思考する能力を身につけています。英語で話している時には、思考も英語に切り替わるのです。余談の余談になりますが、それが日本語での思考にも影響して、物事をクリティカルに捉える傾向にあるのかもしれません。
話を戻しましょう。つまり、繰り返しになりますが、「思考レベルの英語力」と表面的な「コミュニケートレベルの英語力」のどちらをゴールに設定するのか、この点を常に頭の片隅に置いておくと良いかもしれません。
| 使える英語
それでは、「使える英語」に関してもう少し考えてみましょう。
「使える英語で良い」と決断すれば、それはそれで大いに結構なことです。過去、植民地支配されていた地域や奴隷ビジネスに関わっていた国々では、現地の人たちは必要に迫られて英語を身につけました。「ピジン」とも呼ばれる片言英語は、世代が下るに連れてその地域の母語と英語との間の子のような「クリオール」と呼ばれる独特の英語として発達します。これらも歴とした英語であることに変わりはありません。「それでも良いじゃないか」と言われれば、おっしゃる通り。まったくその通りで結構です。
ただ、日本は植民地化されていないし、これからもそのような予定はないので、生存やそれに関わる必要から英語獲得を迫られることはないでしょうし、海外に移住するケースも稀です。既出のレポートによれば、日本のような国で今後英語の必要性が高まるケースがあるとすれば、英語ネイティブスピーカーとの対話よりも、「リンガ・フランカ(共通語)」としての必要性であろうと論じられています。
つまりは異言語を母語とする人たちの間にあって、コミュニケートの手段としての英語が必要になるということになります。ここはひとつ、思考レベルの英語力を横に置いて、コミュニケートレベルの獲得に絞り込んで考えてみましょう。
| 大量入力が鍵
「それならば!」と、ずいぶんハードルが下がった印象を受けるかもしれませんが、実際はどうなのでしょう?コミュニケートレベルの英語に必要なスキルとは、どんなものなのでしょうか。
コミュニケートするからには、話し手が英語を発し、聞き手がその英語を正しく理解する必要があります。
まずは「発する」方について、考えられる問題が2点あります。ひとつ目は「発音」、そしてもうひとつは「文の構造」です。
結論から言ってしまえば、発音に関しては実は問題ではありません。
日本語の世界では、子音は音素ではあっても音節として成立しません。仮名を見れば分かるように、日本語の音節は、ほとんどすべてのケースで「母音」や「子音+母音の組み合わせ」です。日本語では、子音が連続できないのです。一方、英語はいくらでも子音が連続できる言語です。
’strike’ という英単語を例にとってみましょう。英語では ‘straik’ と1音節ですが、日本語式に発音すれば ‘su-to-ra-i-ku(ストライク)’ と、無意識のうちに5音節に変換されます。また日本語にはL, Rの区別やth, f, v の音は存在しません。さらに母音を見ても、英語では明らかな区別のある「オー、オウ」は、日本語ではすべて「オー」となります。同様に「エイ」も、英語には存在しない音「エー」に置き換えられます。たとえば、「慶應大学」の「慶應」を実際に発音すると、「ケイオウ」ではなく「ケーオー」となります。
日本人は、このような日本語の言語生理を、無意識のうちに英語にも適用してしまいます。いわゆる「カタカナ英語」ですが、これでも充分に通じます。まったくのカタカナ英語で、すべての R を L に、fをh、vをbに置き換えて発音しても見事に通じるのです。
このように「発音」に関しては問題はないのですが、もう片方の「構造」になると問題は深刻です。
日本語は、7割が「A=B式」の文章です(この文章も「A=B式」ですね)。英語で言うところのbe動詞が多用されます。ところが逆に、英語では、be動詞でなく一般動詞(do, have, goなど)を使う文章が7割を占めます。たとえば、子どもに向かって将来の夢を尋ねる場合も、日本人は「将来何になりたい?(将来のあなた=どんな職業)」と尋ねるのに対して、英語を使う欧米人は「あなたは将来、何を’do’したいの?」と一般動詞で尋ねます。日本語と英語では、発想方法がこれほど違うのです。
また、『私の妹がインフルエンザ。私はまだだけど、予感がする。』、こんな日本語の文章を、そのまま一語ずつ英語に訳し”My sister is influenza. I’m not yet. But presentiment does.”と言ったとします。これでは、どんなに素晴らしい発音で流暢に言ったとしても、妙な顔をされるのが落ちです。我々が日々使っているような日本語の文章をそのまま英訳してみても、英語としては通じないということが珍しくありません。
つまり、「使える英語」を発信するためには、「発音」は日本語式でも一向に構わないのですが、「文の構造」に関しては英語的な発想で構築できる能力が欠かせません。
そのためには、やはり大量の英語に触れる以外、方法はありません。たとえば、古文や漢文の場合でも、文法や単語を丸暗記して一語一語解釈していくよりも、大量に声に出して読むほうが、よほど楽しく効率的に構造を身につけられます(もちろん、この学習法は「読める」ことが前提です)。英語もしかり。「英語ではこんな言い方をする」という「型(フォーム)」を身につけるには、大量入力がキーワードとなるのです。幼児の場合には「リスニング」、大人の場合には「リーディング」によって、大量に英語を入力する必要があります。
| リスニングがキーワード
さて、コミュニケーションに必要なスキルのうち、「発する」方(話す力)について書いて参りましたが、次に「聞く」方の力へと話を進めましょう。
英会話の練習というと、とにかく話す方に意識が向かいがちですが、実は重要なのは「話したあと」のことです。
では、順を追ってみてみましょう。まず日本人Aさんが頭の中にあることを、英語の型に落とし込んで―カタカナ発音でも構わないので―口にします。すると、相手の米国人Bさんはそれを受け取り、理解します。その後、Bさんは頭に浮かんだイメージを、これまた英語の型に流し込んで口にします。ここでAさんが、Bさんの英語を聞き取れれば何の問題もありません。しかし、大抵の日本人、つまりAさんはBさんの英語を聞き取れません。それはそうです。もし英語を聞き取れるのであれば、日本人はこれほど英語習得に苦労していないはずです。つまり、いくら言いたいことをアウトプットしても、相手の言葉が聞き取れないままであれば、会話(コミュニケーション)は成立しないのです。
では、どのようにすれば、聞き取れるようになるのでしょう。
幼児の場合には、問題ありませんね。読者の皆様のご家庭では、すでにパルキッズを実践されていらっしゃるでしょうから、お子さまに関しては英語のリスニングで苦労することはありません。
しかし、大人、もしくは幼児期を逃してしまった子どもたちが、英語のリスニング能力を身につけようとすると、ちょっとした工夫が必要になります。闇雲に英語を聞いていても、リスニング力は上がりません。ここは、少々科学的なアプローチで取り組む必要があるのです。
科学的というと大げさですが、少しまじめに勉強すれば良いのです。そう、「英語の発音」を勉強するのです。そもそも英語にはどんな発音があるのか、それすら知らずに闇雲にリスニングの練習をするのは、地図も持たずに宝探しに出かけるようなものです。
英語は、20程の母音と20程の子音で成立しています。他方、日本語は子音の数は英語とほぼ同じ20ですが、母音の数は5つしかありません。もちろん、かなりの音が日本語と英語の間で共通しています。そこで、「日本語には無く、英語にはある音」を学べば良いのです。
そもそも我々は、物事の始めを”ABC”と例えてみたり、「英語はまずABCから」などと言う割には、正式にアルファベットの勉強をする人はほとんどいません。学校の英語の時間にも、アルファベットの正しい発音は教えてもらえません。
しかし、これは考えてみればおかしなことです、日本語を学習する外国人であれば、必ず仮名を学びます。ところが、日本人はこれだけ「英語!英語!」と叫びながら、英語を構成するアルファベットには興味を示さないのです。アルファベットにももう少し敬意を表するべきだ、と感じるのは私だけではないでしょう。
アルファベットの正しい発音を知り、その発音で英語を繰り返し口にする。言葉とは、文字からではなく、音から始まっています。英語の美しいメロディーも、その発音とともにあるのです。
こう書くと「発音は関係ないと言ったではないか」と聞こえてきそうです。その通り。英語を話すことにおいては、発音は意外とどうでも良いのです。ただ、英語を聞き取る段階では、英語がどんな音で構成されているのかを知ることが欠かせません。
長々と書いて参りましたが、パルキッズユーザーの皆様のお子さまに関しては、何事も心配する必要はありません。淡々とパルキッズ、並びに絵本の取り組みを進めて行けば、単なるコミュニケート・ツールとしての英語力ではなく、ネイティブ並みの思考ツールとしての英語力を身につけることができます。
新学期が始まり、新生活にも慣れて来た頃でしょう。するとお次は夏休み。時間はあっという間に過ぎ去ります。1日1日を大切に、お子さまの英語教育に取り組んで参りましょう。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。