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2017年1月号特集

Vol.226 | 子どもはどうしてコトバを身につける?

最新言語学から子どもの言語獲得の謎を解いてみよう

written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)


プロフィール

船津 洋(Funatsu Hiroshi)

株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。


特集イメージ2 幼児期の言語獲得、母語獲得に関しては、あまり突っ込んで考えたことがない方が多いのではないでしょうか。いや、むしろ、考えない方が自然です。なぜ我々は日本語の文法を習う前から、幼児でも正しく日本語を話せるのでしょう。こんなことを考え始めたら思考の深みにはまってしまいます。現に、この問題は昔から多くの哲学者たちを悩ませてきました。簡単に答えは出ないのです。
 たとえば、日本語の格助詞「は」と「が」の違いひとつ取ってみても、簡単に説明は付きません。どのような場合に私たちは、その文の主語や主題となる単語にあるいは「は」またあるいは「が」をつけるのか、少し考えただけでも気が遠くなる思いがします。また、「がの交換」と呼ばれる現象(「花子の作ったケーキ」と「花子が作ったケーキ」の違い)なども、説明しようとすれば、これまた気が遠くなる思いがします。日本にいる外国人の友人たちに、上記のような質問をされるたびに、単純明快な答えを与えることができず、無力感にさいなまれます。言語学者のうちでも、いまだに決着が付いていないような、日本語文法の不思議を私のような市井の学者がひとことで言い表せる由もありません。
 言語の不思議さ・複雑さは、日本語に限ったことではありません。たとえば英語のWh疑問文、しかもかなり単純な例を見ても、なぜそのような現象が起こるのか、説明するのに手間がかかります。例えば “Who ate apples ?” と “What did John eat ?” は両方とも、とある平叙文 “John ate apples.” の疑問文であり得ます。しかし、この両者には大きな違いがあります。
 英語では、「問いたい名詞句」を wh に変換して文頭へ持って行きます。この点に関しては、’John’ が ‘who’ になり、’apples’ が ‘what’ となって文頭へ移動しているので両者に共通しています。ところが、一方 “What did John eat ?” では動詞が過去形の助動詞と原形の動詞へと形を変え、さらに助動詞(助動詞がない場合には挿入される ‘do’、この場合には過去形の ‘did’)の倒置(主語となる名詞句の左側への移動)が起きているのに対し、他方(”Who ate apples ?”)では動詞は過去形のままで助動詞も伴わず、倒置も起こっていません。なぜなのでしょう。
 生成文法ではこの問に対する答えを用意していますが、TP (Tense Phrase) とか CP (Complementary Phrase) などの小難しい概念が登場するので難解です。つまり、言語学者でもなければ、これらの文法に対する説明をできる人は少ないでしょう。もちろん、我々が英語をよく知らない日本人だから上記の説明ができないのではありません。私たち日本語の母語話者が、日本語の格助詞に関する説明に詰まってしまうのと同様に、英語の母語話者でも、なぜ英文の語順がそのように変化していくのかを説明するのは困難なのです。
 つまり、我々は母語のことを知っているつもりで、実はあまりよく分かっていません。理屈ではよく分からないけれども「直感的」に使用しているのです。国語の時間に、「五段活用」などの活用を覚えさせられたことはどなたも記憶におありでしょう。しかし、実際の運用において、常に活用表を頭に思い浮かべている人はいないでしょう。そんなことをしていたら、会話は成立しません。まさに、直感的に使用しています。繰り返しますが、我々日本語の母語話者は日本語の詳しい仕組みすら知らずに、しかし、正しく日本語を運用しているのです。


| 直感的な理解とは?

特集イメージ2 これは幼児の言語獲得を見れば明らかです。幼児たちは、文法など一切知りません。文法は知りませんが、外国人にとっては摩訶不思議な格助詞の使い方や動詞の活用なども、正しく運用しています。日本語の音素は母音を伴うので、通常子音だけでは音素が成立しませんが、例えば「来る、する」のように子音のみ (k, s) で語幹が構成される語も 「くる:k-uru, こない:k-onai, きなさい:k-inasai」のように正しく活用できます。まったくもって不思議としか言いようがありません。ひょっとして彼等は「くる,こない、きなさい」などを、同じ語とは思っていないのかもしれません(これに関してはまったくの当て推量です)。
 しかし、英語でも同じような不思議なことが起こります。幼児たちは ‘go’ の過去分詞 ‘gone’ を、 「無い」と言う意味合いで ‘go’ ,’went’ よりも先に使うようになるといいます。また、’go’ は ‘gone’ と似ているのでその関連性が窺えますが、’went’ はどうなのでしょう。ちなみに、’go’ の過去形が ‘went’ であるのは活用したからではありません。もともと ‘go’ と ‘went’ はまったく別の単語です。それがたまたま、互いが互いの過去形や現在形を表しているので、現在の英文法では両者が関連づけられているだけのことです。つまり、’go’ から ‘went’ が派生したのではない。ということは、幼児たちが ‘go’ や ‘went’ を使い分けるのは同じ語の派生として認識してのことではなく、これまた当て推量ですが、別々の単語として理解しているのかもしれません。それは ‘gone’「無い(とある状態になってしまった)」を、’go’ 「行く(現在の状態から変化する)」よりも先に使うことからも察することができます。
 つまり、文法どころか、名詞の活用や動詞の変化のルールを正式に知ることなく、それこそ当て推量で幼児たちは言葉を話しているのかもしれません。もっとも、彼等の母語における当て推量の能力の高さは、我々の外国語におけるそれとは比べものにならないほど高いことは間違いありません。しかし、卑下することはありません。我々も母語である日本語に於いては、直感力(文法知識は別としての表出された日本語の正誤の判断力)にとても優れているのです。
 さて、そのように直感的に日本語を使っている私たちですが、英語は直感的に運用することができません。付け加えると、「直感的に」とは、他の言語を介在させずに、聞いたり読んだりした文章が頭の中で即座に意味として認知されるようなプロセスを指します。つまり、日本人が直感的に英語を理解するとは、英語を日本語に訳さずに、日本語を耳にしたときと同じような言語処理が頭の中で行われることを指します。その意味で、直感的に使用できるレベルまで英語をものにできている日本人はなかなか少数派です。そして、我々日本人の多くは、どのようにしたら直感的に英語を理解できるようになるのか、その道半ばで迷子になっている、というあたりが日本人の英語力の妥当な評価ではないでしょうか。


| どのように直感的な英語力を身につける?

特集イメージ3 さて、ここで重要なポイントがあります。外国語を身につけるにはいろいろな方法があるのかもしれませんし、ひとつしか方法がないのかもしれません。これに関しては、ありとあらゆる人が、ありとあらゆる事を主張しているので、それはそれで参考にすれば良いでしょう。ただ、言語を直感的に使えるようになった人たち、母語として英語を身につけた人にも、外国語として英語を身につけた人にも共通している、「とある事実」の存在については否定できる向きは皆無でしょう。そのとある事実とは、偏に「大量の英語に触れた」という点です。
 英語圏に生まれ育った幼児たちは、日々彼等の回りに存在する英語の「言語証拠」に触れています。幼児たちはまだ視覚情報として言語を理解する読解力がないので、この場合には、主に音声情報のことです。大量に言語情報に触れたという点に関しては、外国語として英語を身につけたすべての人たちに共通しています。ただ、ある程度年齢が高くなってから、例えば小学校高学年になってからの学習者の場合には、英語の音の情報に加えて大量の文字情報との接触が何らかの鍵を握っている可能性が十分に考えられます。
 これは大人になってから英語を身につけた人々に話を聞くたびに気が付く、彼等に共通している点でもあります。つまり、英語を聞いて身につけることが、英語獲得に何らかの影響を与えることに加えて、大量の視覚情報としての英文に接することが英語獲得に影響しているように思えるのです。
 このことは、2つの側面から観察するとより鮮明になります。まず第一に、(幼児期は別として)大人になってから「英語を耳にするだけで(直感的な運用ができるレベルまでの英語力を)身につける」ことが困難であるという単純な事実があります。
 何千何百時間と洋楽を聴き続けても、洋画を千編観ても、それだけでは英語を身につけることはできません。仮にそれだけで英語が身につくならば、日本のミュージシャンたちはそろそろ皆バイリンガルになっていても良い頃合いですが、そのような話は寡聞にして知りません。
 一方で大量に英語の読書をしている人たちは、それなりに英語を身につけています。具体的には、宿題や課題に必要な読書を日常的に課される人たち、現地の学校で勉強する人や英語の論文を読む必要に迫られる人です。そして、そんな人たちが、視覚記号としての英文にある程度以上の接触を続けると、眼前の霧が晴れるように、直感的に英語が分かるようになるのです。これはあくまでも私見の域を出ませんが、成人になってから英語を直感的に使えるレベルまでになった日本人には、かなりの量の「英文の読書」が共通していると考えます。
 つまり、英語の運用力の獲得には大量の英語との接触が必要であり、それは幼児期には音声情報との接触から得られ、成人になると文字情報との接触から得られると考えられます。ひとつ加えれば、幼児期において、特に乳幼児期においては、彼等が英語の文字情報を解読する能力がまだないことから、文字情報との接触による英語の獲得は不可能であることは言うまでもありません。英語獲得に共通しているのは「大量の英語情報との接触」ですが、それが「音声」なのか「文字」なのかが、年齢によって分かれるのです。


| 幼児はどのように獲得する?

特集イメージ4 先に、英語の習得に関しては様々な説があると書きましたが、その中でも最も由緒正しい(はず?)の学校の英語教育においてすら、めざましい成果を上げられていないところをみると、威勢の良さとは裏腹の竜頭蛇尾やら大山鳴動鼠一匹やらの観があります。しかし、そんな現実を傍目に着々と英語をつけている人たちはいるわけです。着々と英語を身につけているのは、英語圏のネイティブや大量の英語の論文や資料に当たる学者たちばかりではありません。日本人の幼児たちの中にも直感レベルでの英語力を身につけている子は、それこそ星の数ほどいます。
 では、なぜ彼等は、学校や英会話などでは獲得の難しい直感的な運用レベルの英語を身につけることができるのでしょうか。ちなみにここでは、直感的な英語の運用力とは、小学生であれば英検準2級以上、中学生であれば2級ないしは準1級以上と勝手に定義します。
 言語学の世界では、初期の生成文法から原理・パラメータ理論、そしてその先へと進みつつあります。ここで極々簡単に普遍文法と原理・パラメータ理論による言語獲得を記すと以下のようになります。
 まず、人は遺伝情報の一部として普遍文法を生得的に持っています。その普遍文法とは、いくつかの原理とパラメーターから成り立っています。原理とは「複数の単語を併合して句や文を作れます」などという極めて単純ないくつかの基本規則のことです。幼児たちは周囲に存在するE言語(この場合は、人々が発する音声言語)に接しながら、その言語のパラメーターを設定していきます。パラメーターとは特定の言語における特徴のことで、名詞や形容詞ならば性・数・格の有無、動詞ならば過去・未来の有無などで、あとは既述のwh移動や助動詞の倒置による疑問文の生成などがあります。たとえば日本語では、名詞には性別もなければ、数による屈折もありません。その代わり(かどうかは分かりませんが)助詞がたくさんあります。英語の場合には、文中の位置によって、ひとつの名詞が主語にも目的語にもなりますが、日本語はそれらの格(主格・属格・与格・対格など)を格助詞「が・の・に・を」で表すので、比較的語順が自由です。
 この原理・パラメータ理論によれば、幼児たちは環境にある言語を耳にしながら、「たくさんあるときは s が付く」「wh は文頭に来る」などの言語の特徴をパラメーターで設定していくそうです。そして、パラメーターの設定が終わり、同時にある程度のレキシコン(語彙目録)の獲得をもって、普遍文法を個別文法(日本語とか英語)へと定常化させるのです。このように書くと、普遍文法がひとつしかないので、身につけることの可能な言語もひとつのような印象があるかもしれませんが、世の中にあまねく存在するバイリンガルやマルチリンガルを見れば、普遍文法が複数の個別文法の生成に有効であることは論理を逸脱しないでしょう。
 つまり、可能性という点を強調するならば、この普遍文法が幼児たちの母語獲得や外国語獲得に影響しているのは間違いなく、さらに一歩踏み込んで、外国語の多読から直感的な運用力を獲得する成人が存在することを考えれば、あくまでも私見ですが、ひょっとすると大人の外国語獲得にもなんらかの効果を与えている可能性は議論の余地を残しそうです。


| 幼児はひとつずつ覚えていかない

特集イメージ3 ここで、ひとつ理解しておかなければいけないことがあります。現在広く行われている言語学の中でも重要な位置を占める原理・パラメーター理論によれば、幼児期の言語獲得―日本語なら日本語、英語なら英語の獲得―はパラメーターの設定によることになります。
 幼児期の言語獲得を段階的に考えると、まずは音韻の理解が必要です。音韻とは、その言語の中において語の意味を変える最小単位のことです。英語においては、’low’, ‘row’ の l, r や、’dis’, ‘this’ の d, th の差で語の意味が変わりますが、日本語ではいずれもローとロー、ディスとディスなので音韻としての区別はされません。そのような言語特有の音韻をまず幼児は理解します。つまり、英語なら英語を聞き取れるようになるのです。さらに文中から単語を発見できるようになります。文を単なる音の塊ではなく、単語の連続として認知するようになるのです。
 そして、それらレキシコンの知識を持って、次々とパラメーターを設定していきます。もちろん、同時に語彙も拡充していきます。しかし、パラメーターの設定をしているような幼児期には、語彙は限られていることに着目する必要があります。要するに、パラメーターを設定している段階の彼等は、音としての単語を認知できるものの、単語の意味や文の意味などほとんど分かってはいない可能性が高いのです。
 音は知っているけれども意味は分からない単語、聞いたことはあるけれども何だか分からない単語だらけの世界の中に、彼等は生きているのかもしれません。そして、その単語が少しずつ意味を帯びていくのでしょう。
 ところで、幼児たちは1歳半くらいまではわずか50語ほどしか単語を知らないのに、その後、急速に語彙を膨らませます。母語を獲得する段階を何歳とするかにもよりますが、おそらく2,000とか3,000も知っていれば、一人前に母語を話せると考えて良いでしょう。
 わずか2~3年で幼児たちは母語を身につけますが、その過程は、我々が体験してきた学校英語的な身につけ方でないことは間違いありません。また、最近の言語学の考え方、普遍文法や原理・パラメーター理論的な考え方からすれば、まずは周囲に音声情報ありきで始まり、あとは幼児の脳が、もしくは彼等が生得的に備えている普遍文法なりが、彼等をして英語の音韻特性を発見させ、単語を発見させ、パラメーターを設定させ、英語を身につけさせることになります。
 何分これらはすべて脳内で行われていることですので、開けて見ることも叶いませんが、幼児たちがあまりにも容易に母語を身につける姿を見れば、確かにそのような気もしますし、また、実際に「パルキッズ」でバイリンガルに育っている幼児たちを見れば、なるほど、原理パラメーター理論も興味深さが増してきます。ちなみに、ひとつ付け加えておけば、これもアメリカの言語学者チョムスキー氏の仰っていることですが、幼児たちは大人よりも自分に近い子どもたちの話し方に自らを似せるそうです。これが何を意味するのかはよく分かりませんが、ひょっとするととしお君やケイ君の話し方を彼等は学び、そして真似ているのかもしれません。

 年頭に当たり、心新たに淡々と英語の環境作りにお励みいただけることを、心よりお祈り申し上げます。


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※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。

引用・転載元:
http://palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1701/
船津洋『子どもはどうしてコトバを身につける?』(株式会社 児童英語研究所、2017年)

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