パルキッズ通信 特集 | かけ流し, バイリンガル教育, 子供の成長, 英語環境, 言語獲得
2018年6月号特集
Vol.243 | 英語の育て方
子どもはことばの天才です
written by 船津 洋(Hiroshi Funatsu)
※本記事のテキストは引用・転載可能です。引用・転載する場合は出典として下記の情報を併記してください。
引用・転載元:
https://www.palkids.co.jp/palkids-webmagazine/tokushu-1806/
船津洋「英語の育て方」(株式会社 児童英語研究所、2018年)
子育てに心配事は尽きないもの。病気の心配から発達の心配まで、次から次へと心配事の連続で、心安まる暇もありません。もちろん、その合間合間に見せてくれる笑顔や笑い声は癒やしであり、子育ての活力であることも言うまでもありません。さて、そんな数ある心配事ですが、仮に「子育ての心配事ベスト10」なるものがあるとすれば、間違いなく上位に食い込んでくるのは、「ことばの発達」に関する心配でしょう。
かく言う我が家でも、長男は無口な男でことばは遅く、2歳くらいになってようやく「喋る」ことを始めました。まぁ、外野は、親の心配など意に介することなく「やいのやいの」言いますが、父親や母親が一番心配していることは間違いありません。
もっとも、我が家の場合は発話が遅いことに関しては、長男の状態を観察するに付け心配はしていませんでした。ひとつにこちらの指示に従うことができたので、「ことば」は順調に育っていることが分かっていましたし、ひとつに彼は運動能力は高く身体も順調に育っていましたし、さらにことばにならないまでもコミュニケーションはとれていたので、親としては「日本語を話し始めるのは時間の問題だ」と考えることができていました。
当時の私は、すでに何百人という子どもたちを相手に、教室や通信での指導をしていたので、若いなりにも経験と知識が豊富であったのが幸いでしたが、もし他の子どものことを知らなければ、我が子を見て相当心配していたことでしょう。
子育てに関する大抵の心配は杞憂に終わるのですが、それでも「万が一」を想像するとやはり心配になってしまうのは親心です。これは日本語の発達ばかりの問題ではありません。幼児期に英語に取り組めば、やれ「英語を喋ってくれない」とか「英語を聞き取れていない」とか、「単語を覚えていない」などなど、やはり心配してしまいます。
しかし、繰り返しますが、大抵の心配事は杞憂に終わります。「うちの子はことばが遅いわ」と散々心配したご家庭でも、子どもが話し始めればそんな心配はあっという間に雲散霧消、「心配していたこと」すら忘れてしまいます。
なぜなら、どの子もことばの天才なのです。言語学の世界では、どの子も遺伝的に「ことばの種」のようなものを持って生まれてきて、それが周囲にあることばの刺激によって日本語や英語に育っていくと考えられています。その「種」を育てるのが、具体的には母親の語りかけであり、家族の会話なのです。
しかし、子どもが日本語を身につけることは経験的には分かるものの、その仕組みはほとんど理解されていません。すると、「日本人だから日本語はできる」とか「日本語のシャワーを浴びているから身につく」など、根拠の乏しい意見があちらこちらでささやかれたりします。しかし、「日本人だから日本語を身につける」訳でもなければ、「シャワーのように日本語の音声を浴びるから日本語が身につく」のではないのです。
| 子どもは育つ家庭にあることばを身につける
単純な話、日本人の血は日本語とは無縁です。日本人だから日本語を身につけるのではありません。アメリカ人の子でも、何人の子でも、日本に生まれて日本語の環境に育てば日本語を話すようになります。逆に日本人の親の子でも、アメリカなり他の外国で生まれたり育ったりすれば、英語やその国のことばを身につけます。つまり子どもは「環境に存在することば」を身につけるのです。
それでは「シャワーのようにことばを浴びる」ことが大切かというと、実際そうでもありません。子どもたちが耳にすることばの「量」と「質」の面がありますが、まずは「量」の面から見ていきましょう。
子どもは生まれる前(胎児期)からことばに耳を傾けていることは『パルキッズ通信2018年5月号』でも書きましたが、主に耳にするのは母親が口にすることばです。生まれてくると母親や家族のことばも、お腹の中にいたとき以上にクリアな音声(お腹の中で聞こえる音は不完全)で、父親や他の家族がいる分少しだけ多くのことばを耳にすることになります。そして1年も経つ頃には母親が話すことば、例えば我々の場合には「日本語」の、基本的な聞き取りや少ないながら語彙など、基礎の部分は身につけてしまいます。
さて、その段階の子どもたちの育つ環境に目を向けてみるとどのようなことばの環境があるのでしょうか。生後3ヶ月頃まで、赤ちゃんは主に母親と二人きりです。ここ半世紀、都市部では核家族が当たり前ですし、しかも少子化で兄弟も少ない。一人っ子や長子の場合には、それこそ母親と二人きりの日常でしょう。首が据わって少ししっかりしてくれば、父親が抱っこしたりあやしたりもしますが、それこそ「げんこつ山のたぬきさん」よろしく、おっぱい飲んで、しばらく機嫌が良くても、じきに寝かしつけることになります。この繰り返しですから、ことばの環境と言っても「シャワー」のように浴びているわけではありません。
その点は、ご自身の経験を振り返ってみると分かりやすいかもしれません。まだことばのわからない赤ちゃんに対する母親の語りかけは、どうしても通り一遍になります。赤ちゃんが反応してくれれば、会話も弾むでしょうし、会話が弾めばそこに使用される語彙は豊富になります。ところが、最初の3、4ヶ月は微笑んだり手足を動かすこともありますが、ことばの内容には反応してくれないわけです。機嫌の良いときに、母親が一方的に話しかける程度。やはり大量に日本語を浴びさせているというわけではなさそうですね。
その後、半年になって寝返りを打って、はいはいが始まって、初めの一歩が出るまでで、おおよそ1年間。基本的には受けとることばの「量」はあまり変化しません。まだ社会との関係がありませんので、耳にするのは家庭内での会話に限定されます。月齢とともに、機嫌良く起きている時間も長くなり、日本語を耳にする時間も増えます。しかし、それでも限定的で、母親や家族から語りかけられたり、他の家族の会話を聞いたりしている程度です。とても「シャワー」と呼べるほどの量ではなく、「打ち水」程度が表現としてはしっくりくるのではないでしょうか?
| では「質」は?
子どもたちが日本語を身につけていく環境にある日本語を、「量」の面から眺めて参りましたが、それを見る限り、子どもが日本語を身につけるために必要な日本語の「量」は、決して「大量」ではないと言えそうです。「打ち水」程度と書きましたが、家庭内の日本語の量に置き換えてみると、母親が我が子に語りかける程度の量と考えれば良く、1日に多くても正味30分を超えることは希でしょう。また、家族間の会話にしても、赤ちゃんが1日で耳にするのは平均しても正味1時間程度でしょう。それが「打ち水」です。
しかし、ここで注目すべきポイントは、その程度の「量」でしかことばに触れていないにも関わらず、どんな子でも失敗することなく日本語を身につけてしまう点でしょう。これについてはまた後で触れます。
さて、それでは他方の「質」の方はどうなのでしょうか。これも赤ちゃんに対する語りかけと、家族の会話のそれぞれの面から見て参りましょう。
まず、語りかけです。赤ちゃんに対する語りかけは、どのような内容だったか思い返してみてください。お腹が空いたか、おむつが気持ち悪いのか、すやすや寝ていた赤ちゃんが時間通りに目を覚まします。その時、なんと声をかけますか?次に、おむつ替えをしているときどのように話しかけますか?そして、その後の授乳中には何か話しかけていましたでしょうか?さらに、機嫌良く起きている時間、つまり次に寝るまでの間には、どんな語りかけを赤ちゃんにするでしょう。
母親の口から出てくる表現を録音して文字に起こすと、こんな具合ではないでしょうか。「ちょっと待っててね」「起きちゃいましたね」「うんち出たね」「おしっこしたね」「おむつ替えようね」「おしりきれいにしようね」「泣かなくて大丈夫よ」「もう終わりよ」「スッキリしたね」「おっぱい飲もうね」「おっぱいたくさん飲んだね」「げっぷ出たね」「絵本読もうか」「この絵本好きなのね」「おもしろいのね」「うれしいのね」「たのしいのね」「眠くなったのかな」「ねんねしましょうね」などなど、このような具体的で理解しやすい内容が、繰り返し登場することが分かります。語りかけの内容の質としては「高尚」というよりは「卑近」といえるでしょう。また、文としても極めてシンプルな構成になっていて、文法的にも教科書に載せられるようなものではないことも分かります。
では、家族の会話はどうでしょう。「沈黙は金」などと言われるように、日本人はどうもあまり口をきかないことに価値を置く傾向があるようです。おそらくその背景には、多様性を欠いた社会構造が根付いていることがありそうです。外国人と見れば、彼らが日本語で話しかけているにも関わらず、英語で答えようとしたり、日本に長く住んでいる外国人たちがたまに不満を漏らすように、いつまで経っても外国人を「よそ者」扱いしたりする事からも分かるように、日本人には、同じような顔かたちをして、同じように話す人たちを「日本人」と見る傾向がどこかにあるようです。そして、そんな日本人の間には仲間意識があって「みなまで言うな」「話さなくても分かる」感覚をどこかに共有しているのです。
日本人の中ですらそんな仲間意識があるわけですから、家族になればなおさらのことでしょう。もちろん、必要なことは報告するでしょうし、相談もするでしょう。また、たわいない雑談も楽しむことでしょう。また、たまに仕事の話や専門的な話も出るのかもしれません。ただ、家族間ですので、阿吽の呼吸でわかり合えることが多く、みなまで言わずとも、日常の生活は事足りてしまうのが自然です。不要な繰り返しを嫌って、必要なことのみに会話が縮んでいくことになります。ただ、朝夕の挨拶や生活に関する定型的なやりとりは繰り返されるので、この辺りから子どもたちは覚えていきます。つまり、基本的には挨拶文などの定型的なやりとりの間に、目新しい表現がところどころ出現する感じでしょうか。母親の語りかけ同様に、家族間のやりとりもそれ程「格調高い」ものではなく、定型文や生活に密着した子どもにも理解しやすい内容であることが分かります。
| すべての子どもは遺伝的に「ことばの天才」です
「天才」という言葉から何を思い浮かべるでしょうか。「ずば抜けて頭の良い人」とか「際だった才能を発揮する人」などが思い浮かぶかもしれません。もちろん、天才にはそのような意味もありますが、元々の意味は「生まれつき備わっている才能」のことです。英語で「天才」を意味する ‘genius’ も、ラテン語の ‘genius’ 「守護神、天分」から直接来ていて、さらに遡ると動詞の ‘gigno’ 「産む、産まれる」にたどり着きます。つまり、「天賦の才」のことで、現代的に言えば遺伝的要素となるでしょう。
そうなのです。すべての子どもは「ことばの天才」の遺伝子を持って生まれてくるのです。この遺伝子は、ヒト以外の霊長類にもありませんし、ましてや他のほ乳類にもありません。人間だけが1人残らず持っている遺伝子です。つまり、子どもたちが自然とことばを身につけるのは、個人の能力の差でもなく、ましてや努力の賜物でも何でもないのです。成長と共にはいはいをして、1年ほどで二足歩行するのと同様に、ことばを身につけることは遺伝子に書き込まれていて、言ってしまえば、人間として産まれたからには嫌が応にも言葉は ’身について’ しまうのです。
親というものは、首が据わるのが遅ければ心配し、寝返りが遅ければ心配し、あんよが遅ければ心配しますが、まさか「うちの子の首は据わらないかも」「寝返りしないのかも」「一生歩かないのかも」とは思いませんよね。ことばが少々遅くても、「うちの子は日本語を話せないのかしら」という心配をする親御さんも希でしょう。それが正しいのです。なぜなら、寝ていても心臓が動いたり、意識しなくても呼吸をしたりするのと同じように、子どもの成長する方向は遺伝子に書き込まれているのです。その表れに個人差はあるものの、あくまでも若干の差の範囲内に収まるのです。
現代の言語学は、チョムスキーさんによって幼児の言語獲得の不思議に焦点が当てられることで、大きな転機を迎えました。『パルキッズ通信2015年8月号』にも書いていますが、幼児がことばを獲得する経緯とは実に不思議なものです。かの哲学者プラトンさんが「子どもはあまり良くない(彼は「劣悪な」と言っていますが)言語環境に育つのに2年で言葉を身につける。不思議だなぁ」という趣旨のことを、2500年近くも前に言っているように、こどもとことばの関係は人類の長年の不思議のひとつなのです。
その不思議は5つの疑問からなっています。1)恵まれているとは言えない環境下で、2)誰にも教わることなく、3)極めて短期間で、4)能力差に無関係に1人残らず、5)同じレベルのことばの運用能力を身につけることができる、これはなぜだろうというものです。
なぜなら、子どもの頃には上記のようなことばに対する能力を発揮したヒトも、一度大人になってしまえば、1’)かなり恵まれた環境で、2’)バッチリ教わりながら、3’)長年かけて勉強しても、4’)ほとんど絶望的な確率でしか、5’)使えるレベルの英語を身につけることができないからです。
同じ人間なのに、これでは子どもたちがことばを身につける事実の正反対ではありませんか。なぜこれほどまでに大きな違いが生まれてしまうのでしょうか?この問いに対する答えは2つ考えられます。ひとつ目は大人の学習方法が間違っているから、2つ目は、やはり子どもはことばの天才であるから、のいずれかでしょう。
| 5つの不思議を眺めると、やはり「天才説」が有望?
5つの不思議を少しだけ掘り下げてみると、さらに関心は深まります。
まず1番目の「恵まれない環境」から見てまいりましょう。まず、ことばに対する手がかりのない赤ん坊がことばを身につけるために必要なのは、ことばの体験でしょう。留学生などは外国語の環境(中・高・大学など教育機関)に放り込まれれば、期間の長短はあれど、半年もすれば対象の外国語は身につけられます。いわゆるイマージョン式ですね。ここでキーポイントとなるのは、その量と質です。学校に籍を置けば、授業や宿題で、大量のしかも高品質なことばのシャワーに浴し続けます。
一方の家庭におけることばの環境はというと、すでに述べたように、高品質ともいえず、量的にも恵まれていません。そのような環境下でも、こどもは自然とことばを身につけるのです。学校の英語教育や各種教材や会話学校などの恩恵を被りながらも、英語を身につけられない大人とは対照的です。
2番目に「誰にも教わらない」点です。もちろん、赤ちゃん自身が積極的に教えを請うことはありませんが、逆に赤ちゃんに対しては、誰もことばを「教えよう」とは敢えてしないのです。中学生でも大人でも学校や英会話教室へ行けば、発音を直されたり、語の使用法や文法を訂正されたりします。しかし、赤ちゃんは、そのような言語に関する指導や指摘を一切受けないにも関わらず、完全な(語彙は少なく、複雑な構文は別としても、基本的な理解や発話レベルに於いて)日本語を身につけます。この点でも、しっかり教え込まれてもなかなか身につけられない大人と対照的です。
不思議の3番目は「短期間」で身につけてしまう点です。赤ちゃんはお腹の中で母親の声の質を覚えて、その後、日本語特有のリズムと日本語の音を生後半年くらいまでに身につけます。例えば、促音と呼ばれるつまる音「っ」や、二文字分の長さの長音、さらに「ん」で終わる撥音など、日本語に特有のリズムや、「かな」を日本語の音として理解します。
たかが「かな」と感じるかもしれませんが、「かな」はかなりユニークです。例えば「タ行」のチ・ツ(/tʃi, tsu/)は他のタ・テ・ト(/ta, te, to/)とは子音が異なります。「サ行」のシも仲間はずれです。しかし、それらを「ティ、トゥ、スィ」などとは発音することはありません。それらの複雑な音のルールも含めた日本語の体系のベースをわずか2年ほどで身につけてしまうのです。一方、小5から大学4年までの10年から12年間にわたり英語を勉強しても、(例外もありますが大抵の場合)産まれて2年のアメリカ人の幼児の英語力には敵わないわけですから、この点においても不思議です。
4番目の不思議は「能力にかかわらず1人残らず身につける」点です。算数が苦手な子がいるように、国語が苦手な子もいます。では、国語が苦手な子は日本語ができないのかといえば、そんな馬鹿げたことはありません。日本に生まれて育てば能力の差には関係なく、日本語は身につけられるのです。
中学生以降の外国語習得の場合には、得意・不得意が大きく影響します。本人の頑張りも影響します。もちろん、地頭の良さも関係あります。ところが、こどもがことばを身につける段階においては、本人の能力、やる気、希望などとはまったく無関係の、まるで意識をしていないレベルで、日本語を身につけてしまうのです。この点も、中学生以降の外国語の習得とは対照を成しています。
最後の不思議は「同じ質のことばを身につける」ことでしょう。教科としての「国語」や語彙・表現力といった点では人のことばの運用能力は様々です。しかし、「国語」ではなく、日常使用する「日本語」のレベルでのことばの能力はみな同じです。「あの子は日本語の聞き取りがうちの子よりできる」とか「あの子の日本語の発音はうちの子より優れている」、「うちの子の日本語は3級レベルだけど、あの子の日本語は1級レベルだ」などということはありませんね。勉強という意味ではなく、日常的な会話を聞き取り、自分から会話に参加できるような次元の基本的な「日本語」の運用力という点では、申し合わせたかのように、みな同じレベルの日本語を身につけるのです。これもまた不思議ではないでしょうか。
| 子どもはやはりことばの天才なのです
子どもたちは、ことばを身につけるプログラムが頭の中に組み込まれた状態で生まれてきます。つまり、子どもたちが「ことばを身につける」ことは、遺伝子レベルで決定済みの事実なのです。一般的に様々な才能に関しては遺伝はせず、後天的な刺激で決定されると考えられる傾向にありますが、ことばを身につけることに関しては、親から子へ、遺伝子情報としてすべての人間に受け継がれているのです。ヒトだけが進化のどこかの段階で、ことばを使ったり身につけたるするプログラムを獲得したのです。だから、どんな子でもことばを身につけることができるのです。
そして、このことばを身につける能力は、言語を問いません。日本語でも英語でも、何語であっても、ヒトのことばである限りは、こどもはそのことばを身につけられます。さらに、世の中にあふれている(日本ではまだ希ですが、欧州ではアタリマエのように3カ国語4カ国語を話す人がいる)事実を踏まえれば、ことばを身につける遺伝子は「母語」以外にも有効であることは自明です。欧州の人間が複数の言語を身につける遺伝子を持っていて、日本人は日本語のみに作用する遺伝子を持っているというわけではありません。ヒトは「育つ環境にあることばを身につけなさい」という1種類の遺伝子を持っているだけなのです。
このことばを獲得させる遺伝子は「ことばの種」の様に比喩されます。そして、この「ことばの種」は「ことばの環境」という栄養を受け取ると、例えば日本語なり、英語なりへと育っていきます。繰り返しますが、世の中に星の数ほどマルチリンガルが存在することから、この「ことばの種」はどうやら複数の芽を出すことができるようです。ただし、この種は少しずつ機能が低下していくようで、小学生も終盤になる頃には「ことばの環境を与えるだけで身につく」といった、魔法のような神秘さは失われてしまいます。
また、この「ことばの種」はかなり「気むずかし屋」です。どんな環境でも良いから与えれば、ことばの芽が育つわけではありません。栄養として与えられる「ことばの環境」に対する選り好みが激しく、少しでも気に入らないと、ピクリとも反応してくれません。その一方でお気に入りの「ことばの環境」を与えると、かなり雑に適当に与えてもすくすくと芽を伸ばしてくれるのです。
子どもたちに遺伝的に賦与されている「ことばの種」を育てるための「ことばの環境」ですが、どのようなものを与えれば良いのでしょうか。これは母語を身につけていく環境を参考にすれば良いでしょう。日本人の子どもが日本語を身につけていく環境で、まず必要なのは母親からの語りかけ、続いて父親や母親など家族の会話です。また、他に子育ての環境に欠かすことのできない要素は、絵本と歌でしょう。
『パルキッズ』は、日本人の子どもが日本語を身につけていく中で受けとる「ことばの環境」を英語に置き換えた教材です。「ことばの種」から「英語の芽」を育てていくための「英語の環境」を、日本に居ながらにしてご家庭に作り出すのです。
すでにお取り組み中のご家庭も、これからスタートするご家庭も、まずは『パルキッズ』で「英語の環境」を作り続けてください。すべての子どもたちは、等しくことばの天才です。「英語の環境」という栄養を与えることを辞めない限り、英語は育っていくのです。淡々と栄養を与え続けることは親にしかできません。中断しているご家庭も、これを機に再開してみましょう。そして、当面の目標「英検準2級」を目指しましょう。
船津 洋(Funatsu Hiroshi)
株式会社児童英語研究所 代表、言語学者。上智大学言語科学研究科言語学専攻修士。幼児英語教材「パルキッズ」をはじめ多数の教材制作・開発を行う。これまでの教務指導件数は6万件を越える。卒業生は難関校に多数合格、中学生で英検1級に合格するなど高い成果を上げている。大人向け英語学習本としてベストセラーとなった『たった80単語!読むだけで英語脳になる本』(三笠書房)など著書多数。